天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山です。名勝、嵐山を代表する寺院であり、1994年(平成6年)には世界遺産に登録されています。四季折々の美しさが堪能できる曹源池庭園や法堂天井に描かれた雲竜図など、見どころが豊富で、参拝客が絶えることがありません。近年は、定期的に開催されている坐禅会や写経の会も人気です。
この記事では、天竜寺の魅力や見どころ、アクセス方法・拝観料・駐車場の有無などをご紹介しましょう。
苦難も多かった
寺院の歴史
天龍寺は室町時代初期に開山しましたが、今日までの歴史は決して平たんではありませんでした。ここでは、天竜寺の歴史をご紹介しましょう。
天皇の慰霊のために建立された寺院
天龍寺は、1339年足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために夢窓 疎石を開山として創建されました。建立にあたって尊氏や光厳上皇が荘園を寄進しましたが、それでも資金が足りずに元寇以来途絶えていた元との貿易を復活させ、建立資金を調達したと伝えられています。
1344年に無事に完成した天龍寺は京都五山の第一位に位置づけられました。これは、別格に位置づけられた南禅寺に次ぐ地位です。寺院は15世紀前半までは大いに栄えました。しかし、足利家の没落や戦乱によって次第に威力が衰え、その上何度も大火に見舞われて寺院は衰退していきます。1585年に豊臣秀吉から寄進を受けるまで、復興もままなりませんでした。
苦難を乗り越え再興に至る
豊臣秀吉から寄進を受けたことにより、天龍寺はようやく復興し始めます。しかし文化年間に再び被災し、さらに再建をしている最中の1864年(元治元年)に蛤御門の変が起こりました。この時寺院は長州軍の陣営となったため、兵火によってまた伽藍は焼失してしまいます。
その後、歴代の住職の尽力により寺院は再び復興を始めました。1876年(明治9年)には臨済宗天龍寺派の大本山となります。翌1877年(明治10年)には法律によって地所の半分以上を国に没収されたものの、1899年(明治32年)には法堂・大方丈・庫裏が建てられ、1924年(大正13年)には小方丈(書院)が再建されました。
天龍寺が現在の寺観になったのは、1935年(昭和10年)のことです。何度も火災にあったため、創建当時の建物は全く残っていません。しかし、塔頭(大寺院の中にある小さな寺院)の松厳寺・慈済院・弘源寺は、1864年の兵火を逃れたため室町様式の建物や江戸時代中期に造られた建物が残っています。
参拝客が絶えない
寺院の魅力
天龍寺は、寺院がたくさんある嵐山の中でも特に参拝客が多いところです。ここでは、寺院の魅力をご紹介しましょう。
境内の自然と建物の美しい調和
天龍寺の境内には曹源池庭園という嵐山と亀山を借景とし、樹木・岩・池・白砂の組み合わせが美しい庭があります。それ以外にも、境内にはきれいな花を咲かせたり紅葉が見事な樹木が豊富です。
重厚な建物と四季折々の花や紅葉とのコントラストはすばらしく、見飽きることはありません。春の桜と秋の紅葉が特に有名ですが、緑あふれる夏と凛とした冬の美しさも一見の価値があります。
所蔵されている多くの寺宝や文化財
長い歴史を持つ天龍寺には、多くの寺宝があります。釈迦如来像や夢窓疎石像など文化財に指定されているものも豊富です。
寺宝の中でも、1997年(平成9年)に描かれた加山又造画伯によって法堂(はっとう)天井に描かれた雲竜図はよく知られています。墨色で描かれた八方にらみの龍は躍動感にあふれ、天龍寺が所蔵している宝物の代表格です。
所蔵している寺宝は常に公開されている物もあれば、雲竜図のように公開期間が限定されている物もありますので要注意。
広い境内の
見どころ
天龍寺の境内は3万坪もあり、南禅寺に次ぐ広さです。ここでは、広い境内に建つ伽藍の見どころをご紹介しましょう。
寺院最古の建造物 勅使門
寛永年間(1624から1644)に建立され、江戸期の火災を免れた天龍寺最古の建築物です。桃山様式の特徴が細部に見られる門で、天皇の勅使が来た時だけ開かれました。現在は周りに柵が設けられ、くぐることはできません。
禅宗七堂伽藍の一つ 法堂
1864年(元治元年)の兵火で焼失した法堂の代わりに、明治時代になって江戸後期建立の雲居庵禅堂(選佛場)を移築したものです。有名な雲竜図はこの建物の天井に描かれています。
法堂は説法堂を意味し、住職が仏に代わって民衆に説法をする場所です。天龍寺の法堂は仏殿としても使用されています。
正面須弥壇には釈迦三尊像を安置し、後の壇には光厳上皇の位牌と歴代住持の位牌および開山夢窓疎石と開基足利尊氏の木像が祀られ、荘厳な美しさです。
平安時代作の仏像が祀られた方丈
方丈とは、住職が住む場所のことです。天龍寺には大方丈と小方丈があり小方丈は書院として利用されている他、来客の接待や法要・行事などに使われています。
1899年(明治32年)に建立された大方丈は、西側を曹源池庭、東側を中門に向けており、東側が表です。部屋は6間でもっとも広い48畳の部屋(室中)には重要文化財指定の釈迦如来坐像が安置されています。
この釈迦如来像は平安時代後期に作られ、天龍寺が何度火災にあっても被害を受けることはありませんでした。仏像の他に、ふすまに描かれた雲竜の絵も一見の価値があります。
後醍醐天皇の像を祀る多宝殿
多宝殿は、かつて亀山上皇が嵐山の地で離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした場所に1934年(昭和9年)に建てられました。中には、後醍醐天皇の尊像や歴代天皇の尊牌(位牌)が祀られています。
多宝殿の後ろにある丘の名を望京の丘と言いますが、後醍醐天皇が吉野で没したことを考えると意味深い名前です。多宝殿の前には枝垂桜があり、春になると薄桃色の花が天蓋(てんがい)のように咲きます。
天龍寺景観の象徴 庫裏
庫裏とは寺院の台所を指す言葉です。1899年(明治32年)に建てられた天龍寺の庫裏は台所と寺務所を兼ねています。装飾性の高い建物で、天龍寺景観の象徴です。インターネットやガイドブックで天龍寺が紹介される時は、よくこの建物の写真が用いられます。
庫裏の玄関に置かれている達磨(だるま)図の衝立は、天龍寺が達磨宗(禅宗)であることを示すものです。同じ達磨図は方丈の床の間にもあります。
曹源池庭園
夢石疎石が作庭した曹源池庭園は創建当時の面影を伽藍内で唯一留めているといわれ、日本最初の史跡・特別名勝に指定された場所です。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、背後の嵐山や亀山を借景として取り込んでいます。
見どころはたくさんありますが、ぜひ注目してほしいのは曹源池中央正面に位置する2枚の巨石で表わされた龍門の滝です。登竜門の故事を表わした滝で、通常滝の下に置かれる鯉魚石が滝の流れの横に置かれています。これは鯉が龍と化す途中の姿を表現したといわれ、他ではあまり見られない珍しいものです。
秋の紅葉の美しさが名高い庭園ですが、春・夏・冬もそれぞれの美しさがあります。少しでもゆっくりと庭園を観賞したいという方は、秋以外の季節に足を運んでみるのがおすすめです。
北門開設と同時に整備された百花苑
百花苑は昭和53年に整備された天龍寺の中で最も新しい庭園です。曹源池庭園があまりにも有名なため注目されることも少ない庭ですが、美しさは勝るとも劣りません。庭園には桜や椿をはじめ、あじさい・しゃくなげ・あせび・ぼたんなどが植えられており、いつ訪れても何らかの花が楽しめます。
庭園が整備されたのと同時に開設されたのが北門です。北門を抜けると竹林の道・大河内山荘・常寂光寺・落柿舎へと続く道に出られます。
参加することが可能な
寺院の行事
天龍寺は、年間を通じていろいろな行事が行われている他、参拝者が気軽に参加できる定例行事もあります。ここでは、その中でも一押しのものをご紹介しましょう。
参拝者に人気の定例行事
天龍寺では、坐禅会・龍門会・写経が定例行事として行われています。龍門会とは天龍寺管長による法話会のことで、坐禅会の後に行われる行事です。
坐禅会と龍門会は予約不要で無料なので、参拝ついでに参加する方もいます。写経は要予約で拝観料の他別途1,000円が必要ですが、習字用具は不用です。開催日や申し込み方法は公式サイトに記載されています。
1年の福を授かる節分会
2月3日に行われる節分会は、福笹授与や豆まきが行われる冬の一大行事です。甘酒や樽酒が無料でふるまわれるので、大勢の参拝客でにぎわいます。3回行われる豆まきは誰でも参加可能です。
節分会には天龍寺七福神巡りも開催されます。これは、境内にある塔頭寺院に祀られている七福神の一部が開帳され、お札が授与される催しです。七福神めぐりをしてお札を授かれば、1年を幸福に過ごせると言われています。
天龍寺
まとめ
いかがでしたか? 今回は、天龍寺の見どころや魅力をご紹介しました。京都を代表する寺院の一つだけあって、いつ訪れても参拝客が大勢いる場所ですが、平日の午前中や、休日でも夕刻は比較的すいています。紅葉の時期の混雑は大変なものですから、訪れる場合は時間に十分余裕を持って行くといいですね。
天龍寺
アクセス情報
住所: 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
電話番号:075-881-1235
拝観時間:8時30分~17時30分
拝観料:境内無料、庭園・諸堂・雲竜図は別途有料(公式サイトを参照)
駐車場:なし
交通案内:阪急嵐山線嵐山駅から徒歩10分
公式サイト:http://www.tenryuji.com