京都市東山区にある泉涌寺(せんにゅうじ)は、真言宗泉涌寺派の総本山です。敷地内には天皇の陵墓が複数あり、皇室の菩提寺を務めてきたことから御寺(みてら)とも呼ばれています。本尊の三世仏のほか、楊貴妃観音をお祀りしていることでも有名です。楊貴妃観音は美人祈願・良縁などのご利益があるといわれ、最近では美と縁結びのパワースポットとしても人気を集めています。
この記事では、泉涌寺の魅力や見どころをご紹介しましょう。
皇室と縁が深い
泉涌寺の歴史
泉涌寺は皇室の菩提寺として、長きにわたりたくさんの人々から信仰されてきた寺院です。この項では、そんな寺院の歴史をかいつまんでご紹介します。
創建から鎌倉時代まで
泉涌寺の創建年代や由来は現在もはっきりと分かっていません。856年に藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)が自分の山荘を改築し、神修上人(しんしゅうしょうにん)を開山として寺院を建立したという説や、空海が建立した草庵が起源という説などがあります。創建当時は法輪寺という名前でした。後に仙遊寺と改められましたが、やがて荒廃していきます。
1218年、荒廃していた仙遊寺を宇都宮信房(うつのみやのぶふさ)という武将が月輪大師(がちりんだいし)、俊芿(しゅんじょう)に寄進しました。月輪大師は多くの人々から寄進を受け、仙遊寺の跡地に宋の法式を取り入れた大伽藍を造営します。このとき、境内に霊泉が沸いたことから寺院の名が泉涌寺と改められました。
復興された泉涌寺は、律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の道場として大いに栄えたと伝えられています。公家と武家の両方から篤い信仰を集め、1224年には後堀河天皇から皇室の祈願所として定められました。その後、後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓が敷地内に造られたため、寺院は皇室の菩提寺となり、御寺(みてら)と呼ばれるようになります。
室町時代から現代まで
1467年に応仁の乱が起こり、その戦火によって伽藍の大部分が焼失してしまいます。その後、朝廷の支援によって伽藍は再興されました。室町時代から幕末にかけての歴代天皇も泉涌寺の敷地内に陵墓を造営しています。
江戸時代になってからも、泉涌寺は皇室の菩提寺として大いに栄えました。明治時代になると天皇の陵墓は造営されなくなりますが、人々の信仰は衰えることなく、現在まで寺院は栄え続けています。
信仰を集め続ける
泉涌寺の魅力
泉涌寺は鎌倉時代に再興された後、天皇を始め多くの人々から篤く信仰され続けてきました。この項では、そんな寺院の魅力をご紹介しましょう。
見事な美しさの桜と紅葉
長い歴史を持つ泉涌寺の境内は、樹木が豊富です。特に桜やモミジ・カエデが多く、春には桜、秋には紅葉が見事な美しさを見せます。
泉涌寺は、付近にある東福寺と同じく京都紅葉六十六景の一つです。春になるとソメイヨシノだけではなく枝垂桜や八重桜も美しく咲く誇ります。4月半ばまで花を楽しむことができ、観光客だけでなく地元の方からも人気の花見スポットです。
国内最大の大涅槃図
泉涌寺の仏殿には、江戸時代前期から中期にかけて活動した浄土宗の画僧、明誉古礀(めいよこかん)が描いた大涅槃図(だいねはんず)が収められています。この大涅槃図は国内随一の巨作といわれるものです。毎年3月14・15・16日に一般公開されていますので、この期間に訪れた際は、ぜひ見ておいてください。
清少納言の歌碑
随筆『枕の草子』の作者として知られる清少納言は、晩年を泉涌寺の付近で過ごしていたといわれています。また、この付近は清少納言の父、清原元輔の山荘があった地です。こうしたゆかりから、昭和49年11月、泉涌寺境内に清少納言の歌碑が建てられました。歌碑には、小倉百人一首に編まれた句、「夜をこめて 鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」が刻まれています。
壮麗な伽藍の
見どころ
泉涌寺の伽藍は近世に建てなおされたものですが、どれも壮麗で見どころが豊富です。この項では、その中でも特に見学者に人気の場所をご紹介しましょう。
表玄関 総門
泉涌寺の表玄関にあたるのが総門です。仁和寺や青蓮院といった門跡寺院の山門に比べると一層のシンプルな造りになっています。周囲は木々に囲まれており、中でも門前にある松は印象的です。総門の先から大門までの参道は、泉涌寺道と呼ばれています。道沿いにあるのが山内寺院(塔頭)です。
内裏の門を移築した大門
総門をくぐり泉涌寺道を歩いていくと、大門が見えてきます。この門は元々内裏の門として京都御所にあったものです。江戸時代初期に徳川家康が御所を改築した際、ここに移築されました。重厚な瓦屋根が印象的な歴史の風格が感じられる門で、重要文化財に指定されています。
楊貴妃観音を祀る楊貴妃観音堂
大門を入って左手奥に建っているのが、楊貴妃観音を祀る楊貴妃観音堂です。白壁が美しい小さなお堂で、特に女性の参拝客が多く訪れています。
楊貴妃観音は、湛海律師(たんかいりっし)が1230年に中国から持ち帰りました。楊貴妃を寵愛した唐の玄宗皇帝が、彼女の死後に生前の姿を象って香木で作らせた観音像と伝えられています。
宝相華唐草(ほうそうはなからくさ)透かし彫りの宝冠があでやかな坐像で、手にしているのは宝相華(ほうそうげ)という架空の花です。女性らしい優美さとなまめかしさを併せ持つ観音像であり、現在は重要文化財に指定されています。
泉涌水屋形・浴室・鎮守
泉涌寺の境内には、名前の由来となった霊泉が今でも湧き出ています。泉涌水屋形は霊泉を覆う建物で、江戸時代初期に建てられました。京都市指定文化財です。
浴室は伽藍を形成する建物の一つで、仏道修行の一環、入浴をするために造られました。泉涌寺の浴室は水屋形と同じく江戸時代初期に再興され、1897年(明治30年)に現在の場所に移されました。
泉涌寺の守り神である鎮守社は、稲荷大明神です。由来など詳しいことは不明ですが、現在でも参道をへだてた北側の森に祀られて大切にされています。
徳川綱吉によって再建された仏殿
現在の仏殿は、1668年に四代将軍徳川綱吉によって再興されました。一見、二階建てに見えますが、一階の屋根に見える部分は「もこし」と呼ばれる飾りです。入母屋造りに本瓦葺の屋根を持つ唐様建築の建物で、現在は重要文化財に指定されています。
内陣に祀られているのは運慶作と伝わる本尊の三尊仏です。弥陀・釈迦・弥勒が横一列に並ぶ安置方法は南宋仏教の影響で、泉涌寺以外ではあまり見られません。
三尊仏背後の壁には狩野探幽(かのたんゆう)筆による飛天が描かれています。本尊の真裏にある裏堂壁に描かれた白衣観音と仏殿天井に描かれている蟠龍(ばんりゅう)も、同じく探幽の筆によるものです。
通常は非公開の舎利殿
舎利殿(しゃりでん)は仏陀の遺骨をお祀りする場所で、一般的な寺院でいう仏塔にあたります。江戸時代初期に御所の建物だったものを現在の場所に移築して改装されました。通常は非公開で、毎年10月8日に行われる特別法要に参加された方だけ内部を見学できます。
歴代天皇の位牌を祀る霊明殿
霊明殿は、歴代天皇の尊牌(位牌のこと)や木像を祀る建物です。現在の霊明殿は1884年に明治天皇によって再建されました。
門跡寺院にある宸殿とよく似た造りの建物で、入母屋造りに檜皮葺の屋根を持ちます。内部は内陣・中陣・外陣に分かれており、内陣は五室の部屋を持つ宮殿造りです。部屋ごとに御扉が設けられ、それぞれの部屋の中には歴代天皇の木像や尊牌が祀られています。内部にある仏式の飾り、荘厳具(そうごんぐ)は明治天皇以降の皇族から寄進されたものです。
皇室の方々が利用する御座所
御座所とは、天皇をはじめとする皇族方がお過ごしになる場所のことです。泉涌寺は皇室の菩提寺であるため皇族方が参拝に来られることも多く、境内に御座所が造られています。
現在の御座所は、1818年に造られた皇后宮の御里御殿(おさとごてん)だった建物です。1882年(明治15年)に発生した火災で今まであった御座所と霊明殿が焼失してしまった後、京都御所から移築されました。
内部は六間からなり、全部屋のふすまにはそれぞれ異なる主題の絵が描かれています。玉座の間と呼ばれる部屋には狩野永岳(かのうえいがく)筆の瑞鳥花弁図(ずいちょうかべんず)が障壁に描かれており、宮廷生活の一端が偲ばれる建物です。
拝観には別途拝観料が必要となります。
昭和天皇が愛でた御座所庭園
御座所庭園は、御座所の東南から御殿の南側にかけて造られた小さな庭です。苔と白砂のコントラストが見事で、池の畔には風情ある石灯籠が置かれています。樹木や草花もたくさん植えられており、四季折々に異なる美しさを見ることができる庭です。
昭和天皇が御陵参拝の際にこの庭を愛で、和歌を残したことでも知られています。
御念持仏を祀る海会堂
海会堂(かいえどう)は、京都御所内にあった御黒戸(おくろど)という建物を移築したものです。ここには、歴代天皇や皇后、皇族方が私的に持ち歩き、拝んでいた御念持仏(おねんじぶつ)が30体以上お祀りされています。方形造りに本瓦葺の屋根を持つ建物で、本尊は阿弥陀如来坐像です。開山者の月輪大師や泉涌寺の諸尊像、位牌も安置されており、毎朝勤行が行われています。
天皇の陵墓 月輪陵・後の月輪陵・開山堂
月輪陵(つきのわのみさぎ)・後の月輪陵というのは、歴代天皇が眠る陵墓(お墓)です。内部には25陵、5灰塚、9墓があり、陵墓はすべて仏式の石塔になっています。
月輪陵の背後にある山腹にあるのが、後の月輪陵と呼ばれる孝明天皇と英照皇太后の墓所です。陵墓は唐破風(からはふ)のついた屋根を持つ門と塀で囲まれており、門外から参拝します。
境内の東南、最も奥まった場所にあるのが歴代長老の墓所と、開山者、月輪大師の墓所である無縫塔(むほうとう)を祀る開山堂です。開山堂と祀られている無縫塔が鎌倉時代最古のもので、重要文化財に指定されています。
参加しておきたい
泉涌寺の行事
泉涌寺では、定期的に行事が開催されており、境内を見学する以外にもさまざまな楽しみ方ができます。ここでは、泉涌寺に訪れたら参加しておきたいおすすめの行事をいくつか紹介しましょう。
泉山七福神めぐり
泉山七福神めぐりとは、1951年(昭和26年)から始まった新春恒例の行事です。毎年成人の日に行われ、泉涌寺の楊貴妃観音と山内寺院(塔頭)にそれぞれ祀られた七福神を参拝して福を授かります。
七福神巡りを行っている寺社仏閣は全国にたくさんありますが、泉山七福神めぐりは範囲が狭く短時間で巡れるため、時間があまりない方でも大丈夫です。参加者は福笹を持ち、七福神に参拝するたびに吉兆(お守りのような飾り)を授かります。
舎利会特別法要に参加してみる
泉涌寺の舎利殿には、中国から渡来した佛牙舎利(ぶつがしゃり)と呼ばれる仏陀の歯が祀られています。仏陀の遺骨である舎利は宝石などで代用されることが多く、本物の舎利は大変貴重です。歴代天皇をはじめ、織田信長や豊臣秀吉といった戦国武将もそのご利益にあやかろうとしていました。
泉涌寺の舎利殿は通常非公開ですが、毎年10月8日に行われる舎利会特別法要に参加すると舎利殿内部を見学できます。舎利殿の天井には狩野山雪作の鳴き龍が描かれており、日光薬師堂の鳴き龍(東の鳴き龍)と一対になった西の鳴き龍として有名です。法要参加は有料で事前予約が必要ですが、精進料理も楽しめます。仏教美術に関心が深い方には特におすすめです。
泉涌寺
まとめ
いかがでしたか? 今回は、泉涌寺の見どころや魅力についてご紹介しました。皇室の菩提寺だけあって、他の寺院では見られないものもたくさんあります。時間をかけてじっくりと見学するのがおすすめです。11月下旬から12月上旬までは紅葉を目当てに訪れる観光客で混雑します。少しでも落ち着いてゆっくりと見学したい方は、平日の午前中に訪れるといいですね。
泉涌寺
アクセス情報
住所:京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
電話番号:075-561-1551
拝観時間:9~16時30分
拝観料:大人500円 子ども300円 御座所特別拝観 300円
駐車場:あり
交通案内:JR 京阪東福寺駅から徒歩10分
公式サイト:http://www.mitera.org