太田姫稲荷神社
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東京 太田姫稲荷神社
江戸城の鬼門を守っていた
稲荷社

太田姫稲荷神社(旧名:一口稲荷神社)は、東京メトロ丸の内線、新御茶ノ水駅からほど近い場所にある稲荷社です。元々は京都にあり、疱瘡(ほうそう)の快癒にご利益で有名でした。この神社を東京に分霊してきたのが、江戸城を築城したことで有名な太田道灌(おおたどうかん)です。かつては江戸城の鬼門(北東)を守っていましたが、何度か移転した末に現在地に鎮座しました。

この記事では、太田姫稲荷神社の歴史やご利益・見どころ・アクセス方法などをご紹介しましょう。

太田姫稲荷神社の
ご利益

太田姫稲荷神社には、徳川家康や菅原道真などが合祀されています。この項では、神社のご利益をご紹介しましょう。

  • 商売繁盛
  • 豊作
  • 病気平癒(病気が無事に治ること)
  • 学業成就
  • 出世開運
  • 満願成就(願い事が叶うこと)

太田姫稲荷神社の
歩み

境内(太田姫稲荷神社)

こじんまりした境内

太田姫稲荷神社は、室町時代中期の武将である太田道灌によって建立された稲荷社です。建立時は一口稲荷社という名前でした。

太田道灌の娘が疱瘡(ほうそう)で生死の境をさまよった際、道潅は疱瘡除けのご利益で知られる京都の一口稲荷社(いもあらいいなりしゃ)へと参拝に行きます。すると、娘は見る見るうちに全快したということです。太田道灌はこれに感謝し、一口稲荷社を分霊して旧江戸城内の鬼門に祀りました。これが太田姫稲荷神社の始まりです。

徳川家康が江戸城に入場すると、神社は江戸城外の鬼門を守る神社として神田川の川岸に移されます。この近くには昌平橋がかけられており、当時は一口橋(いもあらいはし)と呼ばれていました。ちなみに、今も残る地名の一口坂(いもあらいさか)も神社の名前に由来しています。

明治になると、一口稲荷社は(いもあらいいなりしゃ)は太田姫稲荷神社と改名されました。1923年(大正12年)に関東大震災で社殿が倒壊しますが、1928年(昭和3年)に再建されます。1931年(昭和3年)に総武線拡張によって現在の地に移されました。2013年(平成25年)には神社の大改修工事が行われ、鳥居などが一新されています。

太田姫稲荷神社
境内の見どころ

太田姫稲荷神社の境内は広くはありませんが、見どころが複数あります。この項では、境内の見どころをご紹介しましょう。

石造りの鳥居

石鳥居(太田姫稲荷神社)

石鳥居

神社の鳥居は石造りの立派なものです。丹塗りはされておらず、自然石の色をしています。現在の鳥居は、2013年に改修工事が行われた際に新しく造られたものです。

古色蒼然とした拝殿

拝殿(太田姫稲荷神社)

境内社金山神社も合祀されている拝殿

鳥居とは対照的に、拝殿は古色蒼然(こしょくそうぜん)として歴史の重みを感じさせます。大きなちょうちんが軒下に吊り下がっており、夜間には灯がともされて幻想的な雰囲気です。

境内社金山神社

境内社金山神社は江戸時代に金座の守護神として建立されました。金座とは聞きなれない名前ですが、江戸時代に大判小判などの金貨を鋳造していた町です。ちなみに、今も名前が残っている銀座は銀の貨幣を鋳造していました。

1867年に起こった大火によって社殿が焼失し、明治時代になってから有志によって稲荷神社の境内に再建されたと伝わっています。現在は本殿に合祀されており、独立した社殿はありません。

太田道灌公供養碑

太田道灌公供養碑(おおたどうかんこうくようひ)は、京都から江戸へ稲荷社を分霊した太田道灌を供養する碑です。太田道灌は江戸城を造った江戸の始祖として今も大切にお祀りされています。

本宮のご神木

ご神木(太田姫稲荷神社)

御茶ノ水駅の脇に立つご神木

JR御茶ノ水駅近くには、太田姫稲荷神社のご神木であるクスノキが今も現存しています。現在はご神木が元宮扱いになっているので、足を延ばして参拝してみるのもいいですね。木にはしめ縄が張られ、お札と元宮の看板・風邪封じのお守りが幹にくくりつけられています。

太田姫稲荷神社
アクセス情報

住所:東京都千代田区神田駿河台1-2
拝観時間:常時開放・拝観自由
駐車場:なし
交通案内:東京メトロ丸の内線、新御茶ノ水駅から徒歩7分ほど

太田姫稲荷神社

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