京都市右京区御室、きぬかけの路沿いにある仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派の総本山です。創建当時より皇室との結びつきが強い寺院で、出家後の宇多法王がお住まいになったことから御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれ、御室桜と呼ばれる桜の名所しても知られています。明治時代までは皇族が代々の住職を務めており、門跡寺院の代表格となっていました。1994年(平成6年)には世界遺産にも指定されています。
この記事では、仁和寺の魅力や見どころをご紹介しましょう。
平安時代から続く
仁和寺の歴史
平安時代に建立された仁和寺は、現在まで千年以上の歴史があります。ここでは、その歴史の流れをかいつまんでご紹介しましょう。
創建から室町時代まで
仁和寺は、886年に光孝(こうこう)天皇の発願(天皇が自ら願うこと)によって建立が始まりました。寺院の完成を待たずに天皇が崩御されたたため、次代の宇多(うだ)天皇が寺院建立を引き継ぎます。寺院が完成したのは888年のことです。
宇多天皇は897年に譲位して出家し、法王になった後で仁和寺の1世住職を務めました。これにより寺院は御室御所と呼ばれるようになり、皇族が代々の住職を務める門跡寺院になります。
仁和寺は、鎌倉時代末期まで京都にある門跡寺院の中では最高の格式を持ち、大いに栄えました。しかし、1467年に始まった応仁の乱の戦火により、伽藍の大部分が焼失してしまいます。このとき、かろうじて焼失を免れた本尊の阿弥陀三尊像や什物(じゅうぶつ)・聖典などは真光院という子院に移され、現在まで守られ続けました。
江戸時代から現代まで
江戸時代初期の1634年、仁和寺はようやく復興をはじめます。仁和寺の21世住職である覚深入道親王(かくしんにゅうどうしんおう)は、三代将軍徳川家光から寺院復興の許可を得ました。運よく御所の改築時期と重なったため、紫宸殿(ししんでん)や清涼殿(せいりょうでん)などの建物が寺院に下賜され、1646年に伽藍の復興が完了します。
1863年、第30世住職を務めていた純仁法親王が天皇の勅命によって還俗し、仁和寺は門跡寺院としての役目を終えました。1887年(明治20年)には火災によって伽藍の一部が焼失しますが、大正時代に再建されます。
昭和に入ると仁和寺は真言宗御室派の総本山になり、1994年(平成6年)には世界遺産に認定されました。現在では、京都を代表する寺院の一つとなり、参拝客がとぎれることのない人気スポットとなっています。
門跡寺院
仁和寺の魅力
仁和寺は寺格の高い門跡寺院で、文化の発信地でもありました。ここでは、そんな寺院の魅力をご紹介しましょう。
秋の紅葉を楽しむ
仁和寺の境内は桜の名所として全国的に有名ですが、美しい紅葉が見られることも魅力です。中でも、中門から金堂へ続く参道脇の紅葉は見事で、いつまでも眺めていたくなります。
仁和寺の紅葉は京都市内にある紅葉の名所に勝るとも劣りませんが、桜に比べると知名度が低いため、見頃を迎えても比較的ゆっくりと見学可能です。特に、平日の午前中は美しい景色を独り占めできる可能性があります。
風雅な華道展を観賞する
仁和寺は、一世宇多法皇から続く華道、御室流の家元です。そのため、仁和寺では毎年5月に大規模な華道展が開かれます。御殿で開かれる華道展は独特の風情があり、華道をよく知らない方でも楽しめる展示会です。展示会の期間中に境内を訪れると、自然が作りだした美と人が作り出した美を両方楽しむことができます。
歴史の風格漂う
仁和寺の見どころ
長い歴史を持つ仁和寺の境内には、見どころがたくさんあります。ここでは、特に必見の場所をご紹介しましょう。
重要文化財指定の二王門
仁和寺の正面入り口である二王門は、高い寺格にふさわしい壮麗で重厚な造りです。門の高さは約19mあり、入母屋造りで二層の本瓦葺屋根を持ちます。
門の左右に安置されているのは、阿吽の呼吸をする二王像です。通常は仁王と表記しますが、仁和寺では二王と表記します。
二王門は知恩院や南禅寺の三門と同時代に建立されましたが、二寺の門が禅宗様式なのに対して二王門は平安時代の様式を受け継ぐ和様です。現在は、重要文化財に指定されています。
大正時代に造られた勅使門
勅使門とは、天皇の使者をはじめとする高貴な方が寺院に来訪した時に使われる門です。仁和寺の勅使門は、1923年(大正2年)に京都府技師であった亀岡末吉の設計によって建てられました。
檜皮葺の屋根を持つ四脚唐門(よんきゃくからもん)で、左右の屋根は入母屋造り、屋根の前後を唐破風(からはふ)が飾っています。門の全面に施された彫刻が特に見事です。
二王門と金堂の中間に位置する中門
中門は伽藍の中心部に向かう入口です。二王門に比べるとこぢんまりとして見えます。切り妻造りに本瓦屋根を持ち、側面には二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)と呼ばれる装飾が施されているのが特徴です。門の左右には、東方天・西方天と呼ばれる仏様が安置されています。
大日如来を祀る五重塔
仁和寺の五重塔は1644年に建立されたもので、現在は重要文化財に指定されています。一層から五層までの幅にあまり差がないのが特徴で、内部に祀られているのは大日如来と四方仏(しほうぶつ)です。塔を支える心柱(しんばしら)や補助の天柱、壁面にまで仏様や菊花文様などの装飾画が描かれています。
国宝に指定されている金堂
金堂は一般的な寺院の本堂にあたる建物です。安土桃山時代に造られた御所の紫宸殿(ししんでん)が江戸時代初期に移築されました。現存する最古の紫宸殿であり、宮廷風建築を今に伝える歴史的価値の高い建築物です。現在は国宝に指定されています。
内部に安置されているのは、本尊である阿弥陀三尊と四天王像や梵天像などです。壁面には、浄土図や観音図などが極彩色で描かれています。
一切経が納められている経蔵
経蔵とは、文字どおりお経や仏教関連の書物を収蔵する建物です。仁和寺の経蔵は江戸時代の中期に建立され、重要文化財に指定されています。方形(ほうぎょう)造りに本瓦葺の屋根を持つ禅宗仕様の建物です。内部には八面体の回転式書架が設けられています。
書架の中に納められているのは天海版の一切経(大蔵経)です。この他、堂内には釈迦如来・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)など6体の仏像が安置され、壁面には八大菩薩や十六羅漢(じゅうろくらかん)などが描かれています。
お堂のような鐘楼
仁和寺の鐘楼は二階建ての建物で上部が朱塗りの高欄を張り巡らせた楼閣、下部の建物は袴腰式と呼ばれる板張りの覆いで囲まれています。梵鐘は完全に覆われて全く見えず、まるでお堂のような建物です。現在は、重要文化財に指定されています。
こぢんまりとした水掛不動尊
水掛不動尊は、お詣りする際に水をかけて祈願を行います。近畿三十六不動霊場の第十四番札所に指定されており、境内の重厚な建物に比べるとこぢんまりとしたお堂です。内部には石造りの不動尊が祀られています。
清涼殿を移築した御影堂
御影堂(みえどう)はかつて御所にあった内裏、清涼殿(せいりょうでん)の一部を移築したものです。金堂と同じく安土桃山時代の建物で、現在は重要文化財に指定されています。
檜皮部区の屋根を持つ約10m四方の小堂で、内部に安置されているのは弘法大師像・宇多法皇像・仁和寺第2世性信(しょうしん)親王像です。
非公開の観音堂
観音堂は入母屋造りの古色蒼然(こしょくそうぜん)とした建物で、重要文化財に指定されています。内部に安置されているのは千手観音菩薩とその脇侍である不動明王と降三世(ごうざんぜ)明王・二十八部衆の木像です。
仁和寺に伝わる法流の伝承などに使われる場所であり、通常は非公開で外側からの見学になります。
独特な趣を持つ
御殿の見どころ
仁和寺の境内には書院や茶室、庭を備えた御殿と呼ばれる壮麗な建物があります。かつてこの場所には、宇多法皇のお住まいがありました。この項では、御殿の見どころをご紹介しましょう。
どっしりとした本坊表門
本坊表門は御殿の入口にあたり、どっしりとした歴史の風格を感じさせるものです。現在は重要文化財に指定されています。
松の襖絵が美しい白書院
白書院は御殿西庭の南側に位置する書院です。内部には1937年(昭和12年)に福永晴帆(ふくながせいほ)画伯の筆による美しい松の襖絵が展示されています。部屋の中に入ることはできないため、外から見学する形です。
御殿の中心 宸殿と2つの庭
宸殿は門跡寺院独特の建物で、御殿の中心に位置します。儀式や式典に使用されるもので、江戸時代は御所から下賜(かし)された常御殿(じょうごてん)という建物が宸殿の役割を担ってきました。
1887年(明治20年)に火災によって常御殿が焼失してしまい、1914年(大正3年)に現在の建物が竣工されます。御所の紫宸殿と同じく檜皮葺の屋根を持つ入母屋造りで、内部は3間です。襖絵や壁の絵はすべて日本画家の原在泉(はらざいせん)氏が手がけました。
宸殿を南北に挟む形で、南庭(だんてい)と北庭(ほくてい)があります。南庭は左近の桜・右近の橘が植えられている他、松と白砂のコントラストが美しいシンプルな庭です。
北庭は池泉式の庭園で、池や滝・樹木が雅やかな風景を作りだしています。築山には茶室、飛濤亭(ひとてい)があり、中門や五重塔も臨むことができる庭です。
北庭の作者は不明ですが、1690年に加来道意(からいどうり)らによって整備されました。明治から大正にかけて作庭家の七代目小川治兵衛がもう一度整備し直し、現在に至っています。
薬師如来を祀る霊明殿
霊明殿は、仁和寺の子院であった喜多院の本尊であった薬師如来を祀るための建物です。1911年(明治44年)に勅使門と同じ亀岡末吉の設計によって建てられました。正面に掲げられた扁額は、明治時代の政治家である近衛文麿の筆によるものです。
草花の襖絵がある黒書院
黒書院は、花園にあった旧安井門跡の寝殿を移築・改造したものです。1909年(明治42年)に安田時秀の設計によって竣工されました。内部にある植物の襖絵は日本画家の堂本印象が1937年(昭和12年)に描いたものです。
仁和寺の
楽しみ方
境内を見学する他にも、仁和寺には楽しみ方があります。ここでは、その一例をご紹介しましょう。
遅咲きの御室桜
御室桜は京都有数の遅咲きで、毎年4月下旬から5月上旬に見頃を迎えます。江戸時代中期から人々に親しまれており、数多くの和歌に詠まれているほどです。1924年(大正13年)には国の名勝に指定されました。
御室桜は背が低く、大人の背丈ほどしかありません。そのため、間近で桜の花を楽しめます。京都市内で最後に愛でられる桜として観光客だけでなく地元の人にも人気です。桜が見頃の時期になると境内に露店が出店し、飲食しながら花見ができます。
御室桜以外にも境内には枝垂桜やソメイヨシノなどの桜が植えられており、これらの見頃は4月の上旬から中旬です。桜の時期だけは、境内に入るために特別拝観料が必要になります。
寺宝を展示している霊宝館
霊宝館は、創建当時の本尊である国宝、阿弥陀三尊像をはじめとする寺宝を保管している場所です。門跡寺院として長い歴史を持つ仁和寺はたくさんの寺宝を所有しており、国宝や重文に指定されているものもあります。
毎年、春と秋に特別展と称して行われる一般公開は、仏教美術に興味がある方なら必見です。
御室八十八ヶ所霊場
御室八十八ヶ所霊場は、1827年に仁和寺の敷地内にある成就山に造られた霊場です。29世住職の済仁(さいにん)入道親王が、四国八十八ヶ所霊場に巡礼できない人々のために造らせました。
霊場は、仁和寺の寺侍であった久富遠江守に四国の霊場を周らせ、持ち帰らせた各霊場の砂を埋めた上にお堂を建てています。お堂は88個あり、それぞれに祀られているのは各霊場の本尊と弘法大師像です。全長約3kmのミニ八十八ヶ所巡りができる場所として、今でも参拝者がたくさんいます。
宿坊に泊まる
仁和寺には御室会館という宿坊があります。門限が23時厳守ということ以外は、通常の旅館と同じように利用可能です。宿泊すると朝のお勤め(勤行)に参加できます。仁和寺の周囲はきぬがけの路と呼ばれ、名所や寺院が点在していることから観光客にも人気です。
仁和寺
まとめ
いかがでしたか? 今回は仁和寺の魅力や見どころをご紹介しました。広い境内にたくさんの見どころが点在しているので、時間をかけて見学するのがおすすめです。桜の季節は平日でも大変混み合います。公共交通機関を利用して訪れる場合は、時間に余裕をもって出発するといいですね。伽藍をじっくり見学したいという場合は、桜の季節以外に訪れると余裕をもって拝観できます。
仁和寺
アクセス情報
住所:京都府京都市右京区御室大内33
電話番号:075-461-1155
拝観時間:9~17時(季節によって変動あり)
拝観料:境内自由 / 御殿 大人500円・中学生以下300円(霊宝館、桜の時期などは別途拝観料が必要)
駐車場:あり
交通案内:JR京都駅より市バス26番系統乗車、御室仁和寺下車、すぐ
公式サイト:http://www.ninnaji.or.jp