退耕庵(たいこうあん)は、東福寺の境内にある塔頭寺院の一つで、小野小町ゆかりの寺院として有名です。境内には晩年の小野小町が自ら作ったという伝説が残る地蔵尊や小野小町百歳井戸、小野小町百歳像があります。退耕庵は普段は非公開で、拝観したい場合は往復はがきで事前予約が必要です。
この記事では、退耕庵の見どころや魅力をご紹介しましょう。
戦と関わりが深い
退耕庵の歴史
退耕庵は、1346年に東福寺第43世、性海霊見(しょうかいれいけん)によって建立されました。1467年に起こった応仁の乱により一時荒廃しましたが、慶長年間に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興されます。
安国寺恵瓊は臨済宗の僧侶ですが、戦国武将でもありました。関ヶ原の戦い前、安国寺恵瓊は石田三成・宇喜多秀家らとともにこの寺院の茶室で作戦を話し合ったといわれています。しかし、安国寺恵瓊の参加した西軍は関ヶ原の戦いで敗戦を喫し、西軍首謀者の一人として処刑されてしまいました。
幕末になると京都では新政府軍と幕府軍の間で戦いが起こり、東福寺には長州軍の陣が敷かれます。その縁で、退耕庵は鳥羽伏見の戦いで亡くなった人々の菩提寺になりました。
見どころ豊富な
退耕庵の魅力
退耕庵は見どころがたくさんありますが、拝観に事前予約が必要なことから訪れる方はあまり多くありません。そのため、ゆっくりと落ち着いて見学できます。ここでは、そんな寺院の魅力や見どころをご紹介しましょう。
小野小町ゆかりの品を見学する
退耕庵の境内には、小野小町宛の恋文を胎内に納めた玉章(たまずさ)地蔵をはじめとする小野小町ゆかりの品が数多くあります。玉章とは恋文のことです。小野小町が晩年に自ら作ったという言い伝えがあり、かつては京都市東山区の小町寺に安置されていました。参拝すると縁結びのご利益があるといわれている坐像です。
小野小町百歳井戸は晩年に小町が年老いた自分の顔を写し、和歌を詠んだという伝説が残っています。本尊の隣に安置されている小町百歳像は、その名の通り晩年の小野小町の姿を象った像です。
庭園と茶室を見学する
退耕庵には、池泉観賞式庭園と真隠庭(しんにんてい)呼ばれる枯山水庭園があります。どちらも荒廃していましたが、昭和になって造り直されました。安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が再建した本堂(現在は書院)からは、二つの庭をそれぞれ見渡すことができます。
枯山水庭園には開山者の性海霊見が修行した中国の風景が再建されており、春になるとキリシマツツジの赤い花と地面を覆う緑の苔とのコントラストが見事です。池泉観賞式庭園は枯山水庭園より広く、白砂に描かれた複雑な文様の美しさは一見の価値があります。
書院には石田三成達が関ヶ原の戦いについて話し合いをしたという茶室、作夢軒が残っており、歴史好きの方は必見です。戦国の世に造られた茶室らしく、忍び天井や伏せの間など、いつ襲われても対処できるような工夫が施されています。
退耕庵
アクセス情報
住所:京都府京都市東山区本町15丁目793
電話番号:075-561-0667
駐車場:東福寺と共通
交通案内:JR京阪電車東福寺駅より徒歩10分