奈良県斑鳩町にある法隆寺は、聖徳太子と推古天皇によって建立された寺院で、聖徳宗の総本山でもあります。世界最古の木造建築物群を有する寺院として有名で、1993年には世界遺産に登録されました。飛鳥時代・奈良時代に作られた仏像や仏教工芸品などの文化財を多数所蔵しており、東大寺や春日大社と並んで奈良を代表する観光スポットです。
この記事では、法隆寺の歴史や見どころをご紹介します。
飛鳥時代より続く
法隆寺の歴史
法隆寺は600年代初頭に建立された寺院で、約1400年もの歴史があります。この項では、長い法隆寺の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。
創建から江戸時代まで
法隆寺は聖徳太子の父である用明天皇が建立を望み、聖徳太子と推古天皇がその意志を継いで607年に建立しました。創建当初は斑鳩寺(いかるがでら)と称していたと伝えられています。
670年頃には伽藍が火事で焼失しますが、すぐに再建され、711年頃に世界最古といわれる木造建物群が完成しました。この建物群は現在、西院と称されています。
738年頃、行信僧都(ぎょうしんそうず)という僧侶が、聖徳太子の菩提を弔うために斑鳩宮(いかるがのみや)の跡地に、夢殿や舎利殿を中心とした伽藍群を建立しました。これが、現在の東院です。斑鳩宮は聖徳太子の住居だった場所で、東院は長らく聖徳太子信仰の中心となります。
17世紀初頭、豊臣秀頼によって最初の伽藍修復が行われました。
江戸時代から現代まで
江戸時代前期、五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院が再び伽藍修復を行いました。法隆寺は江戸時代末期まで歴史ある寺院として大いに栄えますが、明治になると廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響を受け、寺院を維持していくのが難しくなります。そのため、寺院が所有する宝物の一部を皇室に献上し、寺院の維持費を用立ててもらいました。この時献上された宝物は、法隆寺献上宝物と呼ばれ、現在は東京国立博物館の法隆寺宝物殿に保管されています。
1934年(昭和9年)、法隆寺伽藍の大修復がスタートしました。この修復工事は太平洋戦争を挟んで1985年(昭和60年)まで続き、昭和の大修復と呼ばれています。修復工事中と並行して法隆寺が所蔵する膨大な文化財の再調査も行われました。
1993年、法隆寺はユネスコの世界遺産に登録されます。現在は、世界最古の木造建築物群を有する寺院として、日本だけでなく海外からも参拝客が途切れることはありません。
参拝者が絶えない
法隆寺の魅力
この項では、毎年50万人以上の参拝者が訪れる法隆寺の魅力をご紹介します。
壮大な伽藍群
法隆寺は約19万平米の広大な境内に125の建造物を有する大寺院です。法隆寺の伽藍は西院と東院という2つに分かれており、西院は世界最古といわれる伽藍群で構成されています。建造物の内、国宝に指定されているものが17件、重要文化財に指定されているものが35件となっており、時間をかけて建物群をじっくり見て回るのがおすすめです。
また、法隆寺は瓦の博物館ともいわれており、さまざまな時代の瓦が当時の葺き方で葺かれています。そのため、屋根に注目して伽藍群を見学するのも面白いですよ。
仏像や仏教工芸品
法隆寺には、仏像や仏教工芸品も多数所蔵されています。中でも飛鳥時代に作られた3体の観音菩薩立像(百済観音・九面観音・夢違観音)は国宝に指定されている貴重なものです。これ以外にも、重要文化財に指定されている仏像が多くあります。
仏教工芸品では、玉虫厨子(たまむしのずし)や金堂小壁画が有名です。仏像や仏教工芸品は常設展示されているものもあれば、春と秋の観光シーズンにだけ公開される大宝蔵殿で展示されるものもあります。できるだけ多くの仏像や仏教工芸品を見たいという場合は、大宝蔵殿が公開されている時期に訪れるのがおすすめです。
境内の自然
法隆寺の広大な境内にはさまざまな樹木や草花が植えられており、季節ごとに異なる美しさが楽しめます。中でも東大門付近の桜並木は、春は花・秋は紅葉を楽しめる場所として人気です。
また、秋の夕焼け空と五重塔の組み合わせは絵画のような美しさで、これを目当てに寺院を訪れる方もいます。
国宝・重文多数、
法隆寺の見どころ
法隆寺の広大な境内には、数多くの見どころがあります。この項は、その中でも特に必見の場所をご紹介しましょう。
南大門
南大門は法隆寺の玄関口です。木造瓦屋根の門で、現在は国宝に指定されています。法隆寺内の建造物では歴史が新しく、建造は1483年(室町時代末期)です。以前の南大門は僧同士で権力争いが起こった際、火をつけられて焼失してしまったと伝えられています。
南大門は上部が切り妻造り、下部が入母屋造りという独特な造りをしているのが特徴です。門の周囲に張り巡らされてるのは大垣と呼ばれる築地塀で、こちらは平安時代に造られ、江戸時代に再建されました。
中門
中門は、西院の入り口に位置している門です。飛鳥時代に造られたもので、現在は国宝に指定されているためくぐることができません。深く造られた軒やエンタンシスの柱は飛鳥時代建築の大きな特徴です。
中門の左右には奈良時代初期に作られた現存最古の仁王像が安置されています。仁王像は、木製の芯を中心に据え、その上から粘土で体を作った塑像というのが一般的です。しかし、吽形像の方は長年風雨にさらされ続けたせいで損傷が激しく、16世紀に顔以外木製に作り換えられています。
金堂(本堂)
金堂は、西院の中心に五重塔と並んで建っている建物です。西院を構成している伽藍群の中でも最古の建築物で、国宝に指定されています。堂宇の形はほぼ正方形で二層(二階建て)の入母屋造り、上層と下層をつなぐ支柱には龍の彫物が彫られているのが大きな特徴です。また、金堂の柱は中央が膨らみ上下が細くなるエンタンシスで、こちらも飛鳥時代の建築物によく見られます。
内部に安置されているのは、本尊である国宝の釈迦三尊像です。その両脇には聖徳太子の父である用明天皇のために作られた国宝の金銅薬師如来座像と、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)のために作られた金銅阿弥陀如来座像(需要文化財指定)が安置されています。本尊の釈迦三尊像は、聖徳太子の冥福を祈り、太子と同じ身長で作られた逸品です。
金堂の壁面には障壁画が描かれていましたが、1949年(昭和24年)の火災により破損したため、現在は再現画がはめ込まれています。天井に飾られているのは、鳳凰と天人が飛び交う天蓋です。
五重塔
法隆寺の五重塔は日本に現存している最古のものです。釈迦の遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)を納めるための建物で、5層の楼閣は仏教的宇宙感を表わしているといわれています。国宝にも指定されており、法隆寺のシンボル的な建物です。
五重塔初層(1階)には奈良時代に造られた塑像群が安置されています。東西南北の壁面それぞれが異なる仏教の説話を表わすように配置されており、この安置方法は法隆寺独特のものです。1926年(昭和元年)の調査では、塔の心礎内からガラス製の舎利壺などが発見されました。
西院 鐘楼
西院の鐘楼は金堂の後ろに建っており、経蔵と同じ楼閣造の建物です。一般的な寺院の鐘楼は、壁のない東屋形式のものが多いのですが、法隆寺の西院にある鐘楼は四方に壁があります。中に吊るされている梵鐘は奈良時代前半に鋳造されました。
925年に落雷で焼失した後に経蔵と同じ建築様式で建て直されたもので、現在は国宝に指定されています。西院の鐘が撞かれるのは夏安居(げあんご)という行事が開催される5月16日から8月15日までの期間だけです。
経蔵
経蔵は西院の鐘楼と対になっている楼閣造の建物で、奈良時代に建てられました。現在は国宝に指定されています。経蔵は文字どおり経典を納める建物として利用されてきました。現在は、天文学や地理学を百済(くだら)から日本に伝えたといわれる僧侶、観勒(かんろく)僧正の像を安置しています。
大講堂
大講堂は西院最大の建物で、僧侶たちが仏教の勉強をしたり法要が営まれたりする場所となっています。創建当時の建物は925年に落雷によって鐘楼と共に焼失しており、現在の建物は990年に再建されたものです。国宝に指定されており、内部には平安時代に作られた薬師三尊像と四天王像が安置されています。
上御堂
上御堂は、奈良時代、天武天皇の息子である舎人親王(とねりのしんのう)の願いによって建立された建物です。989年に倒壊してしまい、鎌倉時代に再建されました。現在は重要文化財に指定されています。
毎年11月1日から3日までは扉が開けられ中が見学できるので、その時期に合わせて訪れるのもおすすめです。内部には平安時代に作られた釈迦三尊像と室町時代に作られた四天王像が安置されています。
廻廊
廻廊は、西院入り口にある中門を起点とし、大講堂で結ばれている外廊下です。平安時代以前は鐘楼と経蔵の手前で閉じられていましたが、平安時代に拡張されて現在のような姿になりました。明治時代に重要文化財に指定され、戦後に国宝に昇格しています。金堂や五重塔とのバランスが考慮されており、西側の方が東側に比べて一間(約1.8m)だけ長くなっているのが特徴です。
西円堂
西円堂は、西院の北西にある小高い丘の上に位置しています。東院の忠心である夢殿と同じ八角形のお堂で、奈良時代に行基によって建てられました。行基は全国を旅して仏教を布教して歩いた僧侶です。後に大僧正にまでなり、東大寺に安置されている大仏建立の指揮を取りました。
現在の西円堂は鎌倉時代に再建されたもので、国宝に指定されています。内部に安置されている薬師如来座像は奈良時代に作らたもので、日本最大級の乾漆像として有名です。明治時代までは薬師如来信仰の中心地で、多くの人々が参拝に訪れていました。
三経院
三経院は、西院の外側にある西室の南端部に造られています。かつて聖徳太子が勝鬘経(しょうまんぎょう)・維摩経(ゆいまきょう)・法華経(ほけきょう)の経典を注釈(ちゅうしゃく)されたことにちなんてこの名前がつけられました。現在は国宝に指定されており、夏安居(げあんご)の行事期間(6月16日から8月15日)には三経の講義が行われます。
聖霊院
聖霊院は、西院の東側に位置する東室の南端部を改造して建てられた院です。鎌倉時代、聖徳太子信仰が盛んになったため、平安時代に作られた聖徳太子の像を祀るために建立されました。
聖霊院内部には3つの厨子(ずし)が安置されており、太子の像が安置されているのは中央の厨子です。左右の厨子には息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)や太子の弟である殖栗皇子(えぐりのみこ)などの像が祀られています。
聖霊院は建物だけでなく中に祀られている像も国宝に指定されており、普段は非公開です。毎年3月22日の特別法用の時にだけ扉が開かれ内部を見学することができます。
東室
東室は西院の外側にある建物で、西院の東側にあることからこの名が付きました。ちなみに、西側には西室という建物があります。この建物と西室は、僧が生活をしていた建物でした。
綱封蔵
綱封蔵(こうふうぞう)は、法隆寺の宝物を保管するための蔵で、国宝に指定されています。奈良時代に造られました。かつての法隆寺には、網封蔵以外にも、30以上の宝物を納める蔵があったと伝えられています。
食堂
国宝にも指定されている食堂(じきどう)は、法隆寺の寺務所として奈良時代に建てられ、平安時代頃から僧が食事を取る場所として使われるようになりました。細殿という建物と軒を接して建っていることから、双堂とも呼ばれています。
大宝蔵院
大宝蔵院は、法隆寺の仏像や宝物を納めるために1998年(平成10年)に造られたもので、法隆寺では最も新しい建物です。西宝蔵・東宝蔵・百済観音堂という3つの建物で構成されいます。百済観音(くだらかんのん)や夢違観音(ゆめたがいかんのん)といった国宝に指定されている仏像や玉虫厨子(たまむしのずし)など、有名な宝物はすべてここに展示されており、仏像や仏教美術に興味がある方は必見です。
ちなみに、大宝蔵院が完成するまで宝物は大宝蔵殿という公開されていました。現在、大宝蔵殿は大宝蔵院に展示しきれなかった宝物を展示する場所として使われており、毎年春と秋に特別公開が行われています。
東大門
東大門(とうだいもん)は、西院と東院の中間に位置する門です。法隆寺創建の際に建てられ、平安時代に現在の場所に移築されました。中ノ門(なかのもん)という別名もあります。
東大門の造りは、門の前後に屋根がありその上に屋根を乗せるという三棟造(みつむねづくり)という奈良時代を代表する建築方法です。3つの屋根を八本の脚で支えているため、八脚門とも呼ばれています。
夢殿
夢殿は東院伽藍の中心に位置する建物で、奈良時代初期に造られました。内部には厨子が安置され、その中には秘仏である救世観音像(ぐぜかんのんぞう)が納められています。救世観音像は聖徳太子と同じ身長で作られたと伝わっており、聖徳太子を供養する目的で安置されているものです。
厨子の周りには東院を建立した行信僧都(ぎょうしんそうず)の像や、平安時代に夢殿を修復した道詮律師(どうせんりっし)の像なども安置されています。国宝に指定されており、法隆寺の中でも最も有名な建物の一つです。
舎利殿・絵殿
舎利殿(しゃりでん)は夢殿の後ろに位置する建物で、絵殿と繋がっている建物です。舎利とは仏陀の遺骨のことで、聖徳太子が2歳の頃に東に向かって合掌したところ、手から仏舎利が湧き出てきたという伝説が伝わっています。
舎利殿はその時の舎利を納めるために造られました。絵殿には、聖徳太子一代の筆跡を描いた障子絵が納められています。現在は重要文化財に指定されており、1月1日から3日にかけては舎利の開帳も行われる建物です。
伝法堂
伝法堂は舎利殿・絵殿の後ろに位置している建物です。東大寺の大仏を建立した聖武天皇の妃、橘古那可智(たちばなのこなかち)の邸宅跡を寺院に改造した建物で、奈良時代に造られました。現在は、国宝に指定されています。奈良時代の建物にしては珍しく、床が板張りです。内部には、奈良時代に造られた乾漆阿弥陀三尊像(かんしつあみださんぞんぞう)をはじめとして、多くの仏像が安置されています。
東院 鐘楼
東院にある鐘楼は鎌倉時代に造られたもので、国宝に指定されています。袴腰建築では現存する最古のもので、元々は中宮寺の鐘楼でした。現在は、東院で法要が行われる時に鐘が撞かれています。
江戸時代にできた
法隆寺七不思議
法隆寺には、他の場所では見られない不思議な現象が複数あるといわれています。江戸時代にこれらの現象がまとめられて法隆寺七不思議と呼ばれるようになりました。この項では、そんな七不思議をご紹介しましょう。
鳥がフンをかけずクモの巣もはらない
法隆寺は特別尊い寺院なので、鳥もクモも境内を汚さないといわれています。もちろん、実際にはそのようなことはありません。しかし、それほど清い雰囲気に満ちた寺院であると感じる方が多かったため、このような伝説が生まれたのだと考えられています。
南大門前の鯛石
鯛石は、南大門の階段下にある魚の形をした石のことです。どんなに大雨が降っても、この石より上には水位が上がらないといわれています。
五重塔にささった4本の鎌
五重塔の上部には九輪と呼ばれる飾りがあり、ここには4本の鎌が刺さっています。これは聖徳太子の魂を鎮めるためのおまじないという説もありますが、実際は雷除けです。下から塔を見上げて鎌が上向きに見えれば豊作、下向きに見えれば凶作になると伝わっています。
法隆寺の伏蔵
法隆寺には、伏蔵(ふせぞう)と呼ばれる一種の隠し倉庫があると伝えられています。その中には法隆寺を修復するときの為に使う財宝が納められていると言われていますが、真偽のほどは定かではありません。経蔵の中・金堂の北東・廻廊の南西にあると伝わっており、石の蓋で覆われています。
因可池の蛙
因可池(よるかのいけ)とは、西院と東院を結ぶ参道に位置している池です。かつてここには聖徳太子の住まいである斑鳩宮(いかるがのみや)がありました。聖徳太子が仏教の勉強をしていた時、池の蛙があまりにうるさいので筆で片目をついたところ、この池の蛙すべてが片目になったと伝わっています。
夢殿の礼盤
夢殿には、礼盤(らいばん)と呼ばれる僧侶が座る台座があり、毎年2月にこの礼盤を日光に当て、盤につく水分の量で豊作か凶作かを占います。なぜ、水の量で豊作か凶作かが占えるのか、その理由は伝わっていません。
雨だれが地面に穴を開けない
法隆寺の雨だれは地面に穴をあけることはないといわれています。実際にそのようなことはありませんが、それだけ水はけの良い土地であるという言い伝えです。
法隆寺の
年間行事
この項では、法隆寺で行われる年間行事の中で、参拝客も参加できるものをご紹介します。行事に合わせて寺院を訪れるのもおすすめです。
夢殿本尊開扉法要
夢殿本尊開扉法要(ゆめどのほんぞんかいびょうほうよう)は、毎年4月11日から5月18日と10月22日から11月23日まで行われる法要です。普段は非公開の救世観音像(ぐぜかんのんぞう)を拝観できるので、毎年多くの参拝者が訪れます。斑鳩の春・秋の風物詩です。
追難式(鬼追い式)
追難式(ついなしき)は毎年2月3日に行われる節分の行事です。追難式を行う寺院や神社は数多いのですが、法隆寺が最古だといわれています。西円堂で行われており、3匹の鬼がたいまつを投げるなどの所作を行うのが特徴です。鬼役はかつて法隆寺の僧侶が勤めていましたが、現在は法隆寺から見て北東(丑寅)の方角に位置している岡本法起寺裏の住人が行うようになりました。鬼は最後に毘沙門天に追い払われます。見学は自由ですから、毎年多くの方が見物に訪れる行事です。
法隆寺
まとめ
いかがでしたか? 今回は法隆寺の見どころや魅力・歴史をご紹介しました。修学旅行で行ったことのある方も多い寺院だと思いますが、公開期間が限られている仏像などもたくさんあり、何度足を運んでも楽しめます。伽藍をすべてじっくり見たいという場合は、半日程度時間を作って訪れるといいですね。
法隆寺
アクセス情報
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
電話番号:0745-75-2555
拝観時間:8~17時(11月4日~2月21日までは16時30分閉門)
拝観料:大人1,500円・小学生750円
駐車場:あり
交通案内:JR法隆寺駅下車、法隆寺行バス乗車、法隆寺入り口下車徒歩すぐ
公式サイト:http://www.horyuji.or.jp