龍安寺
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京都 龍安寺
石庭の美しさで名高い
世界遺産の寺院

京都市右京区にある龍安寺は、臨済宗妙心寺派の寺院です。妙心寺の境外塔頭の一つですが、現在は山内塔頭同様の扱いを受けています。石庭の名で知られる方丈庭園の美しさは、日本だけでなく海外でも有名です。1994年(平成6年)には、古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。

この記事では、龍安寺の見どころや魅力をご紹介します。

海外でも有名な
龍安寺の歴史

龍安寺は室町時代に創建されました。ここでは、寺院の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

室町時代から戦国時代まで

龍安寺は、1450年に室町幕府の管領だった細川勝元によって創建されました。元々この地には徳大寺実能(とくだいじさねよし)の山荘があり、この山荘を譲り受けて寺院を創建したと伝えられています。開山を務めたのは、妙心寺五世の義天玄承(ぎてんげんしょう)禅師です。

1467年、創建からわずか17年で寺院は応仁の乱の兵火によって焼失してしまいました。その後、1499年に細川勝元の子である細川政元と特芳禅傑(どくほうぜんけつ)によって寺院は再興されます。特芳禅傑は、義天玄承の弟子に当たる人物です。

戦国時代には織田信長や豊臣秀吉によって庇護され、寺領が与えられました。

江戸時代から現代まで

江戸時代になると龍安寺は物見遊山(ものみゆさん)の場として有名になり、当時の名所案内書にはオシドリの名所として紹介されています。1797年、火災のよって仏殿などの主要な伽藍が焼失してしまいました。その後、同じ塔頭寺院である西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈とします。これが、現在の龍安寺方丈です。

明治時代に起こった廃仏毀釈が原因で寺院は一時衰退しますが、1975年(昭和50年)にイギリスのエリザベス女王が寺院を見学したことがきっかけとなり、石庭の美しさが海外にまで知られるようになりました。

現在は石庭が美しい世界遺産登録の寺院として、日本だけでなく海外からの観光客にも人気の場所になっています。

人々を引き付ける
龍安寺の魅力

龍安寺は江戸時代から観光名所として有名でした。ここでは、そんな寺院の魅力をご紹介しましょう。

四季折々の自然

龍安寺の境内には、草花や樹木がたくさん植えられています。特に、モミジとカエデ・桜の木は数が多く、春の花や秋に見ることのできる紅葉の美しさは格別です。桜は複数の種類が植えられており、3月下旬から4月の中頃までいろいろな花が楽しめます。

地面を覆う苔の美しさも魅力の一つです。春の桜、夏に若葉と苔の緑が作り出す絶妙なコントラストは、一見の価値があります。

歴史ある伽藍群

龍安寺は石庭の美しさで有名ですが、伽藍群も歴史の風格を感じさせる見事なものです。方丈以外は非公開なので外からの見学になりますが、境内の自然と調和した姿が楽しめます。境内に点在する灯籠や石仏と自然の組み合わせも美しいものです。

世界遺産龍安寺
その見どころ

世界遺産にも登録された龍安寺には見どころがたくさんあります。ここでは、特に必見な場所をご紹介しましょう。

自然に囲まれた山門

山門(龍安寺)

山門

龍安寺の山門は、境内の規模に比べるとこぢんまりとしています。現在の山門は1755年に再建されたもので、それ以前の山門は洪水により破損してしまいました。周囲には樹木が豊富で、秋になると見事な紅葉に包まれます。禅寺の山門は厳めしいものが多いのですが、龍安寺の山門は参拝者を優しく迎えてくれる柔らかい印象の門です。

オシドリの名所だった鏡容池

鏡容池(龍安寺)

鏡容池

鏡容池(きょようち)は、平安時代にこの地が山荘であった頃の名残です。山荘の持ち主だった大徳寺家では、池に舟を浮かべて管弦の宴を楽しんでいたと伝えられています。

江戸時代は石庭よりもこの池の方が有名で、オシドリが群れ遊ぶ名所として知られていました。今はオシドリの姿を見ることはできませんが、サギやカモが飛来して池の畔や中で羽を休めています。

現在の鏡容池は国の名勝に指定されており、スイレンが美しい池として有名です。毎年5月から7月の午前中は、美しい花が水面に咲いている様子が楽しめます。この他、池の周りには桜・サツキ・ショウブなどが植えられており、春から初夏にかけて様々な花が楽しめる場所です。

鏡容池は石庭に比べるとさっと見学して別の場所に移動する方が多いので、ゆっくりと自然を愛でられます。特に、草花や鳥類が好きな方にはおすすめです。

参道の龍安寺垣とは

参道(龍安寺)

参道

龍安寺垣とは、参道の脇を飾っている竹の生垣です。割竹(わりだけ)をひし形に組んであることが特徴で、長い距離を囲うのに適した形といわれています。竹の濃いベージュ色と参道脇に生えた苔や樹木の緑、そして石畳の組み合わせは美しく、隠れた見どころの一つです。

龍安寺垣は低い位置にあるため、参道を歩くときは目線を心もち下にして歩くと、見逃すことがありません。

唐破風が見事な勅使門

勅使門とは天皇の使者がくぐる特別な門です。1975年(昭和50年)にエリザベス女王夫妻が来日した際は、この門をくぐって方丈と石庭を見学しました。通常は閉鎖されており、外からの見学になります。屋根につけられた唐破風が見事です。

白壁が美しい庫裏

庫裏(龍安寺)

庫裏

庫裏は、本来寺院で生活する僧侶の食事を作る台所です。禅宗の寺院では玄関として使われています。龍安寺の庫裏は広く、方丈と一繋がりになった建物です。

禅宗寺院の庫裏建築が持つ特徴である白壁が美しく、秋は紅葉が見事に映えます。木組みとのコントラストも重厚な雰囲気を作り出しており、時間をかけて隅々まで見学するのがおすすめです。

日本最古の侘助椿

侘助は椿の一種類で、昔から千利休をはじめとする茶人たちに愛されてきました。茶室に植えられている椿の多くが、この侘助です。

龍安寺に植えられている侘助椿は日本最古のもので、朝鮮半島から侘助という人物が苗を持ち帰って植えたと伝わっています。庫裏の前、石庭の反対側に植えられており、花の季節以外は今でも青々とした葉を元気に茂らせている木です。

花の見頃は、3月下旬から4月上旬で、赤と白のまだら模様が特徴的な一重の花を咲かせます。八重先の椿に比べると地味な印象ですが、茶人が好みそうな侘び寂びを感じられる花です。秀吉が称賛し、千利休が愛でたという逸話が残されています。

光圀が寄進したと伝わる知足の蹲踞

蹲踞(龍安寺)

蹲踞(つくばい)

知足の蹲踞(つくばい)は、侘助椿のすぐ近くにあります。蹲踞とは縁側付近に備えつけられている手水鉢(ちょうずばち)のことで、外から屋内へ入ると際に手を洗うための場所です。茶室に入る際、手や口を清めるためにも用いられます。

知足の蹲踞(つくばい)は、中央の水穴を「口」の字に見立ててその周囲に4つの漢字を配したデザインです。口の字を共有し、吾唯足知(われただたるをしる)と読ませます。

吾唯足知(われただたるをしる)は釈尊が説いた教えの一つで、「満ち足りることを知っている人の心は穏やかであり、そうでない人の心はいつも乱れている」という意味です。知足の心(ちそくのこころ)とも言い、蹲踞はそれを図案化した仏教の神髄と考えられています。

龍安寺の蹲踞は徳川光圀の寄進と伝えられており、現在飾られているのはレプリカです。

茶室 蔵六庵(非公開)

蔵六庵は方丈の北東に建つ茶室で、江戸時代初期に建築されました。明治中期と1996年(平成8年)の2度、移築が行われています。

四畳一間に中板だけが設けられた狭い建物で、通常は非公開です。蔵六とは亀の別名ですが、仏教用語では六根を清浄にするという意味を持ちます。

石庭を臨める方丈(本堂)

方丈(龍安寺)

方丈

方丈とは本来は住職の住まいを指す言葉ですが、龍安寺の方丈は本堂を兼ねています。現在の方丈は1606年に織田信長の弟である信包(のぶかね)が西源院の方丈として建てたものを、江戸時代中期に移築したものです。

かつては狩野派に手による襖絵が内部に飾られていましたが、明治時代に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響を受けて流失してしまいました。その後、1953年(昭和28年)から皐月鶴翁(さつきかくおう)が5年がかりで新しい襖絵を作成します。現在、方丈では皐月鶴翁が描いた龍や北朝鮮にある金剛山の襖絵を部屋の外から自由に見ることができ、撮影も可能です。

龍安寺の伽藍は非公開のものが多いですが、方丈は石庭を眺められるように縁側の部分だけ自由に出入りできるようになっています。春と秋は拝観者が多く、方丈内も混み合うことが珍しくありません。石庭をじっくり見学したい方は、夏や冬に訪れるのがおすすめです。

世界的に有名な石庭

石庭(龍安寺)

石庭

龍安寺の石庭は国の史跡及び名勝に指定されています。ここでは、名高い庭の特徴や楽しみ方をご紹介しましょう。

01. 石と砂だけで造られた不完全な美

石庭(龍安寺)

石庭

石庭は正式名称を方丈庭園と言い、大小15個の石と白砂だけで構成されています。写真で見ると広大に思えますが、幅 25m・奥行10mで坪数にすると75坪ほどしかなく、庭としてはこぢんまりとしたものです。

は東から5個・2個・3個・2個・3個の順で配列されており、どこから見ても必ず1個の石が他の石に隠れてしまうように置かれています。これは常に自分に足りないものを自覚するようにという戒めであると伝わっていますが、それが真実かどうかは分かりません。どこから見ても完全な形を見ることができない不完全庭の美は、禅の心を象徴しているともいわれています。

02. 複数の別名

石庭は、中国の故事に由来する虎の子渡しの庭です。石の配列が七・五・三という陽数(おめでたい数字)に分けられることから、七五三の庭という別名があります。複数の名前がつくのも、不完全な美を持つ庭らしいですね。

これだけ有名な庭なのに、作庭した人物の名前も諸説あってはっきりしていません。庭石に刻まれている小太郎・口二郎という名も、作庭者には関係がないという説があります。

03. 庭に施された工夫

石庭は一見すると平坦に見えますが、方丈から見て左奥が低くなっています。西側の壁も手前から奥に向けて50cmほど低くなっていますが、見ただけでは分かりません。高低差を付けることにより庭に奥行きを感じさせ、雨水などを排水しやすくなっています。

庭を囲む土塀は土と菜種油(なたねあぶら)を練り合わせた油土塀と呼ばれるもので、白砂からの照り返しや気候や環境の変化に強い特殊な造りです。

04. 観賞のコツ

石庭はさっと見るだけでは、その良さがよく分かりません。時間をかけて様々な角度から庭を眺めることで、シンプルな庭に様々な風景が見えてくるといわれています。

石と砂だけの庭ですが、土塀の外側にある紅葉や桜との組み合わせも見事です。春と秋にはそれを目当てに観光客がたくさん訪れます。少しでもゆっくりと庭を眺めたいという方は、平日の午前中がおすすめです。

座って庭を眺める方が多いですが、石庭は方丈から立って眺めるように設計されています。人が多いと難しいかもしれませんが、短時間でも立って眺めてみるといいですね。

仏殿(非公開)

龍安寺の仏殿は1797年に焼失しています。その後、長い間再建されていませんでしたが、1981年(昭和58年)にようやく新たな仏殿が造られました。妙心寺に伝わる古絵図を元に再建された建物は、入母屋造りに銅板葺の屋根を持つ重厚な禅宗建築です。

観光客には非公開で、檀家の法要などに使われています。内部に安置されているのは天皇の位牌や歴代住職の位牌です。

西の庭(非公開)

龍安寺には、石庭の他にもう一つ西の庭と呼ばれる庭があります。1982年(昭和57年)に、室町風の庭として復元されました。

残念ながら非公開で、庭内には寺院を創建した細川勝元の木像を安置した細川廟(ほそかわびょう)があります。この像は1658年に作られました。木像と一緒に、細川家出身で管領を務めた人々の位牌もまつられています。

見学以外の
楽しみ方

龍安寺は、境内を見学する以外にも楽しみ方があります。ここでは、おすすめの楽しみ方をご紹介しましょう。

御朱印をいただく

最近は、寺院や神社で御朱印をいただく人が増えています。龍安寺の御朱印は中央に石庭と書かれたかなり特徴的なもので、良い記念になること間違いなしです。吾唯足るを知るの刻印も押していただけます。御朱印をいただく際は、先に拝観を済ませるのがマナーです。

お土産物を買う

龍安寺はお札やお守りの他に、ちょっとしたお土産物を販売しています。一押しは、石庭の手ぬぐいです。石庭の情景がシンプルに描かれている手ぬぐいは、ハンカチ代わりにも使えます。

龍安寺
まとめ

いかがでしたか? 今回は龍安寺の見どころや魅力をご紹介しました。石庭は時間をかけて眺めるほど、その良さが分かってくるといわれています。時間に余裕がある方は、見学に半日ほどかけてみるのもいいですね。紅葉や桜が見頃をむかえる時期以外は、休日でも比較的ひっそりとしています。石庭の魅力をじっくりと味わいたい方は、春と秋以外の季節に訪れるのがおすすめです。

龍安寺
アクセス情報

住所:京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13龍安寺
電話番号:075-463-2216
拝観時間:8~17時(季節によって変動あり)
拝観料:大人500円・小中学生300円
駐車場:あり
交通案内:京阪電鉄三条駅から市バス59番系統乗車、龍安寺前下車すぐ
公式サイトhttp://www.ryoanji.jp

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