興津坐漁荘
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興津坐漁荘(記念館)
最後の元老、西園寺公望が隠居した
風雅な別荘

静岡市清水区にある興津坐漁荘(記念館)は、1920年に建築された西園寺公望の別荘だった建物です。西園寺公望は伊藤博文の腹心として活躍し、総理大臣も2期務めました。大正時代から昭和初期にかけては最後の元老として政界に大きな影響力を持っていたと伝えられています。

興津坐漁荘(記念館)のオリジナルは1970年に愛知県の明治村に移築され、2003年に登録有形文化財に指定されました。静岡市に建っている建物は移築時に作成した図面を基に復元されたものです。

この記事では、興津坐漁荘(記念館)の魅力や見どころをご紹介しましょう。

01. 風雅な建物を
見学する

居間(興津坐漁荘)

興津坐漁荘(記念館 )は、西園寺公望が70歳の頃に建てた別荘です。彼は政界を引退し、老後をここでのんびりと過ごすつもりだったと伝えられています。しかし実際は彼の指示を仰ぎたい政治家が続々と別荘を訪問し、「坐漁荘詣で」という言葉も生まれました。

坐漁荘の名は、中国の皇帝が太公望が坐漁(魚釣り)する場に出会い手厚く軍師に迎えたという故事に由来します。名付け親は渡辺千冬子爵。建てられた当時は居間から三保の松原が見渡せて砂浜の漁船や干し網を臨むことができ、釣りを楽しむには最適の場所でした。

京都から宮大工を呼びよせて建てられたという建物は、京風数寄屋造りの2階建てです。数寄屋(茶室)にならって装飾をできるだけなくし、質素ながら洗礼された造りの建物は華やかさこそありませんが、落ち着いて清潔な美しさが感じられます。西園寺公望が好んだという竹製の欄間は一見の価値ありです。

この建物は2004年に復元されたまだ新しいものですが、材料には一部明治時代のものが使われています。縁側の窓ガラスもその一つ。現在のガラスには見られない微妙な歪みは手作りならではのものです。

洋室(興津坐漁荘)

増築された洋室

オリジナルの興津坐漁荘は1920年に建築され、1929年に洋間や脱衣室兼化粧室が増築されました。復元された建物にも増築部分が造られています。和風の部屋と見比べて見るのも興味深いですよ。

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