神田明神(湯島)
?評価について

東京 神田明神(神田神社)
神田祭で有名な
東京108町会の総鎮守

神田明神は湯島にほど近い千代田区外神田にある神社です。正式名称を神田神社といい、神田・日本橋・秋葉原など東京の108町会の総鎮守を務めています。江戸時代から明神さんの愛称で親しまれており、日本三大祭りの一つである神田祭が行われる神社として有名です。2015年には、人気アニメ『ラブライブ』と神田祭がコラボし、大きな話題を集めました。

この記事では、神田明神の見どころや魅力・ご利益などをご紹介しましょう。

神田明神の
ご利益

神田明神は、江戸時代から東京の鬼門にあたる北東を守る神社として信仰を集めてきました。この項では、そんな神社のご利益をご紹介しましょう。

  • 商売繁盛
  • 家内安全
  • 出世開運
  • 縁結び
  • 魔除け
  • 医薬健康
  • 学業成就

信仰を集め続ける
神社の歴史

境内(神田明神)

境内

神田明神の歴史は古く、奈良時代以前に関東に入植した出雲氏という一族が、自分たちの祖先と伝わる大己貴命(おおなむちのみこと)を祀った社を建てたことが始まりといわれています。ちなみに、大己貴命は七福神の一人である大国神と同一視されている神様です。

平安時代になると関東の地を納めていた平将門(たいらのまさかど)が反乱を起こしました。反乱は失敗して将門は京都で処刑されましたが、首だけが関東に飛んで戻ってきたという伝説が残っています。将門の首は神社の近くに葬られましたが、その後京都で伝染病が流行すると将門のたたりと恐れられ、神社の神様として祀られました。

江戸時代になると江戸には幕府が開かれ、神田明神は現在の地へ移転します。神田祭が始まったのも江戸時代に入ってからのことです。将軍もお祭りの山車を見学していたことから、天下祭りと呼ばれました。

明治時代になると神田明神は正式な名称を神田神社に改めます。その後は東京を代表する108町の氏神となり、現在も参拝者が絶えることはありません。

歴史ある
神田明神の魅力

神田明神は千年以上の歴史を持つ関東屈指の神社です。この項では、そんな神社の魅力をご紹介しましょう。

日本三大祭りの一つ神田祭

神田祭(神田明神)

神田祭

神田祭は神田明神の例大祭で、京都の祇園祭・大阪の天神祭と並んで日本三大祭りと呼ばれています。本祭は2年に一度行われ、次回の開催は2017年5月11日から13日までです。

では、氏子を務める各町のお神輿が町を練り歩き、平安装束や鎧兜をまとった人々の時代行列・お囃子行列など見どころがたくさんあります。近年ではインターネット中継も始まりました。外国からも観光客がたくさん訪れます。

数々の授与品

神田明神では、絵馬やお札・お守りなどを授与してもらえます。その中でも珍しいのが、IT情報安全守護です。これは、パソコンの部品であるチップの形をしたお守りで、パソコントラブルや個人情報漏えい防止のご利益があるといわれています。秋葉原や丸の内などビジネスや電気の街を氏子として抱える神社らしいお守りです。

神田明神境内の
一押し見どころ

神田明神の境内には複数の見どころがあります。この項では、その中でも特に必見の場所をご紹介しましょう。

青銅色の鳥居

鳥居(神田明神)

鳥居

神田明神の鳥居は、ビルとビルの間いっぱいに建っています。石造りや丹塗りの鳥居が多い中、神田明神の鳥居は金属の色そのままの青銅色です。鳥居をくぐるとすぐに随身門があります。

鮮やかな色彩の随身門

隋神門(神田明神)

隋神門

神田明神の随身門は二層(二階建て)で、1975年(昭和50年)に昭和天皇の在位50年を記念して建立されました。外回りには玄武・白虎・朱雀・青龍の方位を守る神様の彫刻、内側には因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の彫刻が飾られています。二階にある繋馬(けいま)の彫刻は平将門に縁あるものです。

門の左右に安置されている随身像は、戦国武将である加藤清正が植えたと伝わるクスノキを使って造られました。1998年(平成10年)に塗り替え工事が行われたため、現在も色鮮やかです。

神楽殿

社務所と神楽殿(神田明神)

神楽殿(右)と社務所(左)

神楽殿は社務所の隣にある舞台です。神田祭など祭礼の時にはお囃子や神楽舞が奉納されます。

鳳凰殿

鳳凰殿(神田明神)

鳳凰殿

鳳凰殿は、お守りやお札を授与してもらえる神札授与所や休憩室・集会室などを備えた建物です。鉄筋コンクリート造りで、正面に唐破風(からはふ)の飾りがあり銅葺の屋根を持ちます。車いすやベビーカーでの利用でも訪れるこのできるバリアフリーな造りです。

御神殿

御神殿(神田明神)

御神殿

現存する御神殿は1934年(昭和9年)に建立されたものです。江戸時代に建立された社殿が1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受けたため、当時の建築技術を駆使して再建されました。

鉄筋コンクリート造りの社殿は当時としては最新の技術で、少しでも木造建築に似せられるようにと、伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった建築家たちの工夫が凝らされています。太平洋戦争中に空襲を受けた際も、御神殿は被害を免れました。

御神殿は権現造りで、本殿・幣殿・拝殿・神饌所・宝庫が重なり合うように建てられている独特な造りです。現在は国の有形文化財に登録されています。

祭祀殿・資料館

祭祀殿(神田明神)

祭祀殿・資料館

祭祀殿・資料館には、神田祭に関する資料や神宝が展示されています。神田祭の歴史や祭の資料なども見学できるため、歴史好きの方は必見です。

神田明神の
摂社・末社

神田明神の境内には、複数の摂社・末社が建立されています。この項では、これらのご利益や特徴をご紹介しましょう。

祖霊社

祖霊社(神田明神)

祖霊社

祖霊社は2004年(平成16年)に建立されたばかりの新しい末社です。神田明神を信奉していた氏子や信徒の先祖をお祀りしています。

合祀殿

合祀殿(神田明神)

合祀殿

合祀殿は2014年(平成24年)に籠祖神社(かごそじんじゃ)の社地に建立された摂社です。籠祖神社は江戸時代初期に建立され、「かご」や「つづら」を作る職人たちの信仰を集めてきました。合祀殿には籠祖神社に祀られていた猿田彦をはじめ、神田明神の境内に祀られていた複数の摂社・末社を合祀しています。

末廣稲荷神社

末廣稲荷神社(神田明神)

末廣稲荷神社

末廣稲荷神社は江戸時代の初期からこの地にあり、人々の信仰を集め続けてきた稲荷社です。毎年3月の午の日には祭礼が行われています。

三宿・金刀比羅神社

三宿稲荷神社・金刀比羅神社(神田明神)

三宿稲荷神社・金刀比羅神社

三宿稲荷神社と金刀比羅神社が一緒に祀られている摂社です。三宿稲荷神社は江戸時代に神田一丁目・二丁目の守護神として信仰されてきたと伝えられています。金刀比羅神社は隅田川を渡る舟の船頭たちから信仰を集めてきました。1966年にこの場所に合祀されてからも、人々の信仰を集め続けています。

社殿内に祀られている水盤は、千代田区の有形文化財に指定されているものです。この水盤は、神田に住む職人集たちによって奉納されたと伝わっています。

浦安稲荷神社

浦安稲荷神社(神田明神)

浦安稲荷神社

浦安稲荷神社は、かつて江戸平川の河口付近に鎮座していた稲荷社です。江戸時代末期に境内へ遷座しました。

江戸神社

江戸神社(神田明神)

江戸神社

江戸神社は奈良時代より以前に現在の皇居付近に建立されたとされる関東最古の地主神です。時代を下るにつれて、関東を治める武将たちの信仰を集めるようになりました。江戸時代には南伝馬町一帯の人々からの信仰を集め、天王一ノ宮などと呼ばれていたと伝えられています。

明治時代になると須賀神社と名前を改めましたが、火災によって社殿が焼失し、神田明神の境内に移りました。その後、別の場所へ再度移り、1990年(平成元年)に再び現在の場所に戻ってきます。

今は神田祭の際に、神社のお神輿である江戸神社千貫神輿が宮入りするようになりました。

大伝馬町八雲神社

大伝馬町八雲神社(神田明神)

大伝馬町八雲神社

大伝馬町八雲神社には、千代田区指定有形民俗文化財に指定されている鉄製の天水桶が奉納されています。この鉄製の天水桶は江戸時代に反物の流通を一手に扱う大物問屋(おおものどんや)の組合によって奉納されました。丹塗りの小さな社と漆黒の天水桶の組み合わせは遠くからでもよく目立ちます。

小舟町八雲神社

小舟町八雲神社(神田明神)

小舟町八雲神社

小舟町八雲神社にも天水桶が奉納されています。こちらの天水桶は魚の干物や乾物の流通を担う問屋の組合によって江戸時代に奉納されました。こちらの天水桶も千代田区指定有形民俗文化財に指定されています。白壁と丹塗りの柱によるコントラストが見事です。

水神社(魚河岸水神社)

水神社(神田明神)

水神社

水神社は、江戸時代、日本橋に魚市場があったころに建立された末社です。徳川家の武運長久と商売繁盛・大漁安全を願って建立されました。明治時代に一度は日本橋の魚市場場内にあった稲荷社に合祀されますが、1901年(明治34年)に再び神田神社境内に戻ってきます。

現在の魚市場は日本橋から築地に移っていますが、移転された時に水神社の遥拝所が建立されました。現在でも築地の魚市場で働く人々の信仰を集めています。

神社境内にある
その他の見どころ

神田明神境内には、摂社・末社の他にも見どころがあります。この項では、その中の一押しをご紹介しましょう。

鉄製天水桶

鉄製天水桶(神田明神)

鉄製天水桶

鉄製天水桶は、江戸時代末期に酒屋の組合によって神社に奉納されました。八雲神社にある天水桶と見比べてみてもいいですね。問屋によるこのような奉納品は、江戸時代にいかに商人が豊かな富をもっていたかを今に伝える史跡となっています。現在は、他の天水桶同様、千代田区指定有形民俗文化財に指定されている遺物です。

獅子山と石獅子

獅子山(神田明神)

獅子山と石獅子

石獅子はライオン(獅子)に見立てた石の彫刻で、武州下野(現在の群馬県あたり)の名工石切藤兵衛によって造られました。彼は生涯3体しか石獅子を作っておらず、これはそのうちの一つです。区内に数少なくなった江戸時代の石造物の一つとして、千代田区指定有形民俗文化財に指定されています。

かつては夫婦と子どもの獅子の3組がありました。しかし、関東大震災で子どもの獅子が紛失し、現在残っているのは夫婦の獅子だけです。獅子山は今上天皇の即位を記念して新たに造られました。

大黒尊像

大黒尊像(神田明神)

大黒尊像

神田明神の祀神である大己貴命(おおなむちのみこと)は大黒様と同一視されており、境内には大黒尊像が建てられています。高さ6.6m・重さ30tの像は、石造りの石像としては日本最大級のものです。

えびす様尊像

えびす様尊像(神田明神)

えびす様尊像

えびす様尊像は、神田明神の祀神である少彦名命(すくなひこなのみこと)が恵比須神と同一視されていることから建立されています。鳳凰殿が完成した記念として、東京芸術大学学長、宮田亮平教授によって建立されました。

神田の家

神田の家(神田明神)

神田の家

神田の家は江戸時代から神田鎌倉町で材木商を営んでいた遠藤家の店舗兼住宅です。都心部の木造住宅としては貴重な存在として、千代田区指定有形文化財に指定されています。一部がカフェになっている他、貸座敷としても利用できる建物です。

神田明神
まとめ

いかがでしたか? 今回は神田明神の見どころや魅力をご紹介しました。神田明神は東京を代表する神社で、見どころも豊富です。観光に訪れる際は時間を取ってゆっくりと見て回ると江戸文化を肌で感じることができます。

神田明神
アクセス情報

住所:東京都千代田区外神田2−16−2
電話番号: 03-3254-0753
拝観料:境内自由
駐車場:若干あり
交通案内:東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅より徒歩5分
公式サイトhttp://www.kandamyoujin.or.jp

神田明神

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