大町にある妙本寺は、1260年、日蓮によって開山された日蓮宗最古の寺院です。元々この地には源頼朝の側近だった比企能員(ひきよしかず)の屋敷がありました。比企一族は北条氏との政治闘争に敗れ、一族のほとんどが滅ぼされてしまいます。数少ない生き残り、比企大学三郎能本が日蓮に土地を献上したことが寺院の始まりです。
今回は、妙本寺の魅力や見どころをご紹介しましょう。
妙本寺の
魅力
比企一族を弔うために造営された妙本寺の境内には自然が豊富で、四季折々に美しい花が咲きます。特に、春の桜とカイドウは有名です。夏になるとノウゼンカズラがオレンジ色の花をつけ、秋は紅葉があでやかに境内を彩ります。境内は比企一族の菩提を弔うための物がたくさんある厳粛な場所です。季節の花々は滅ぼされた人々を優しく慰めているようにも感じられます。
悲劇から始まる
寺院の歴史
妙本寺の歴史は比企一族の悲劇から始まります。ここでは、寺院の歴史をご紹介しましょう。
政治闘争 比企の乱
妙本寺が建っている土地に家屋敷を構えていた比企能員は、自分の娘を源頼朝の息子、頼家に嫁がせます。娘は若狭局(わかさのつぼね)を名乗り、やがて頼家の子どもである一幡を生みました。この時、政治を司っていたのは頼家の母の北条政子と執権・北条時政です。比企一族を政治的なライバルとみなした北条氏は彼らを攻撃し、一族をことごとく滅ぼしてしまいました。この争いを比企の乱といいます。若狭局と幼い一幡もこの時に亡くなってしまいました。
一族の菩提を弔うために建立
妙本寺の開基、比企大学三郎能本は、比企一族の数少ない生き残りです。彼は比企一族が滅ぼされた「比企の乱」のとき、まだ幼かったので京都にいて助かりました。彼は成長して順徳天皇に仕える儒学者になったと伝えられています。彼は、あるとき鎌倉で命がけで布教をする日蓮上人を見て家屋敷を献上し、一族の菩提を弔ってくれるように依頼しました。これが妙本寺の始まりです。
1260年に妙本寺を開山した日蓮上人は比企大学三郎能本の父・能員と母に「長興」・「妙本」の法号を授けました。それ以後、妙本寺は鎌倉における日蓮宗の拠点として栄え、東京の池上本門寺と共に人々の信仰を集めています。
妙本寺の
見どころ
妙本寺内には比企一族の菩提を弔う物をはじめ、いろいろな見どころがあります。ここでは、その中の一押しをご紹介しましょう。
大正時代に再建された総門
現在の総門は、1923年(大正12年)に関東大震災によって倒壊した山門を1925年(大正14年)に再興したものです。総門前に設置された石塔は門よりも歴史が古く、元は境内の祖師堂前にあったものを1785年に移築しました。石塔には、ここが総門最初の寺院であることや徳川将軍家から紫衣着用の許しを得られたということがかかれています。寺院の格式の高さを表わす物です。
若狭局を祀る社 蛇苦止堂(じゃくしどう)
源頼家に嫁いだ若狭局は北条氏に攻め込まれた際、家宝を抱いて井戸に飛び込んで自害しました。その後、鎌倉幕府7代執権・北条政村の娘が若狭局に祟られ、蛇がのたうち回るように苦しんだため、加持祈祷を行ったと伝えられています。政村は娘が回復した後、比企能員の屋敷跡に若狭局を蛇苦止明神として祀り、その社を蛇苦止堂と名付けました。
花に囲まれた方丈門
総門と本堂の間に位置する方丈門は、こぢんまりとした簡素な門です。周りにはサルスベリやツツジが植えられています。方丈門をくぐった先にある石段の両脇に植えられているのは、アジサイです。毎年6月中旬ごろになると美しい花を咲かせます。
昭和初期に建てられた本堂
現在の本堂は1931年(昭和6年)に建てられました。中に安置されているのは、本尊である本師釈迦牟尼佛と上行・無辺行・浄行・安立行の本化の四菩薩などです。本尊の釈迦牟尼仏は、1677年に豊後岡藩主の中川佐渡守久恒が大願主となり作られました。
本堂の周囲は桜やカイドウがたくさん植えられており、春になると花を愛でるたくさんの方で賑わいます。毎年4月8日には花に囲まれてお釈迦様の誕生を祝う花まつりが行われますので、参加するのもおすすめです。
朱色が美しい二天門
祖師堂の手前に位置している二天門は、1840年に建立された古い門です。総門や方丈門と異なり、朱色に塗られて様々な彫刻が施されています。平成になって大改修が行われ往年の色鮮やかさを取り戻しました。
この門は一般的な寺院の仁王門にあたりますが、祀られているのは持国天と多聞天です。そのため、二天を祀る門ということで二天門と名付けられました。二つの仏像はそれぞれ足元に邪鬼を踏みつけています。周囲には紅葉する樹木が多く、毎年秋になると美しい光景が見られると評判です。
日蓮上人を祀った祖師堂
妙本寺を開山した日蓮上人を祀っている建物が、境内の一番奥まった場所にある祖師堂です。鎌倉最大級のお堂として知られています。日蓮上人を祀るだけでなく、妙本寺の重要な法要なども行われる場所です。
この祖師堂があった辺りは、かつて比企の尼と呼ばれる頼朝の乳母を勤めた人物が住んでいました。彼女の子どもが比企能員です。頼朝は北条政子が解任すると尼の元へ彼女を送り、尼の元で二代将軍・源頼家が生まれたという伝説が残っています。
袖を葬った一幡之君袖塚(いちまんのきみそでづか)
一幡之君は、源頼家と若狭局の間にできた子どもです。北条氏に攻められた時、わずか6歳で亡くなりました。遺体は見つからず焼け跡から見つかったわずかな袖を祀ったのが、この袖塚です。周りを豊かな緑に囲まれており、今でも供養の花が絶えることはありません。
妙本寺の
楽しみ方
鎌倉駅から10分の所にある妙本寺は、ただ拝観するだけでなく、いろいろな楽しみ方があります。ここでは、その中の一押しをご紹介しましょう。
祇園山方面へ歩いていってみる
妙本寺は祇園山ハイキングコースの一部になっています。コースといっても全長は4キロ程度。道は一部山道ですが大部分が舗装されていますので、足元さえ整えていけば散策気分で歩けます。妙本寺を拝観した後八雲神社や祇園山へ向かうコースになりますから、鎌倉をのんびり散策したい方におすすめです。
境内のレストランを利用する
妙本寺の境内は地元の方の生活空間になっています。一般住宅の他、鎌倉フェリーチェというイタリアンレストランがあり、隠れ家的な店として評判です。境内の自然に囲まれてランチやティータイムを楽しめます。
妙本寺
アクセス情報
住所:神奈川県鎌倉市大町1-15-1
電話番号:0467-22-0777
拝観時間:なし
拝観料:無料
駐車場:あり
交通案内:JR横須賀線鎌倉駅から徒歩10分