鎌倉市の材木座にある光明時は、鎌倉幕府第四代執権の北条経時によって開基された浄土宗大本山です。経時以降、歴代執権の帰依を受けて大いに栄えました。鎌倉幕府が滅んだ後も時の権力者の庇護を受け続け、現在も鎌倉有数の大伽藍を有しています。
この記事では、光明寺の見どころや魅力をご紹介しましょう。
関東総本山の
寺院の歴史
光明寺は、1243年、鎌倉幕府第四代執権の北条経時によって開基されました。開山を務めたのは、経時が深く帰依していた浄土宗三祖然阿良忠上人です。経時以降、代々の鎌倉幕府執権の深い帰依を受けた光明寺は壮大な七堂伽藍を構え、関東における念仏道場の中心になりました。鎌倉幕府が滅びた後も、光明寺はさびれることなく時の権力者の庇護を受け続けます。
室町時代になると後土御門天皇から関東総本山の称号を与えられました。それ以後、天皇が国と国民の安寧を願う勅願所となります。江戸時代になると徳川家康から関東十八檀林の筆頭に任じられました。壇林というのは、幕府が定めた学問所のことです。明治時代になっても光明寺は荒廃することなく、人々の信仰を集めて今に至ります。
大伽藍を持つ
寺院の見どころ
関東有数の大伽藍を持つ光明寺は、見どころが豊富です。ここでは、その中でも代表的なものをご紹介しましょう。
江戸時代に造られた総門
鎌倉市の文化財に指定されている総門は、1495年に建造され寛永年間に再建されました。再建される前の門は、もっと大きかったと伝えられています。上部構造は桃山時代の様式です。虹梁や木鼻など屋根の骨組みを支える大瓶束が大変太いことから、昔の壮観さが偲ばれます。
高さ20mの山門
1847年に再興された山門は、高さが20mを誇る鎌倉最大の山門です。2階建てになっており、1階が和風で2階が中華風の造りになっています。掲げられているのは、1436年に後花園天皇より賜った「天照山」の額です。
2階には釈迦三尊・四天王・十六羅漢が祀られています。
総ケヤキ造りの鐘楼堂
1847年に建造された鐘楼堂は、総ケヤキ造りで瓦葺の立派な建物です。中に吊るされている梵鐘は1961年(昭和36年)、法然上人750回忌を記念して鋳造されました。重さ1トンを超える釣り鐘は、今でも朝夕鎌倉の街に音色を響かせています。
鎌倉一の大きさを誇る大殿(本堂)
1698年に造営された本堂は、入母屋造りで銅葺屋根の建物です。現存する木造の古建築では鎌倉一の大きさを誇り、重要文化財に指定されています。外観は簡素ですが内部はきらびやかです。中には本尊の阿弥陀三尊ほか諸仏を祀っています。
かつては開山者である然阿良忠上人の像を祀り、祖師堂と称していました。祖師堂を本堂とする様式は、知恩院をはじめとする京都の浄土宗本山の通例です。
ハスが美しい記主庭園
光明寺の浄土宗庭園は記主庭園と呼ばれ、ハスの花が美しいことで有名です。7月には有料の観蓮会が開かれ、抹茶を楽しみながら美しいハスを観賞できます。
庭園内の大聖閣(たいしょうかく)は宗祖法然上人800年大御忌の記念に建立されたものです。二階には阿弥陀三尊が安置され、回廊からその姿を見ることができます。
枯山水 三尊五祖の庭園
本堂南側にある庭園です。三尊とは、極楽浄土の阿弥陀仏とその脇侍の観音・勢至の二大菩薩のこと。五祖とは、浄土教を布教したさ釈尊・善導・法然・鎮西・記主の五大祖師のことです。
庭園では白い砂の中に置かれた石で三尊五祖を表わし、そこから手前をこの世(此岸)、石より奥をあの世(彼岸)としています。
良忠上人が帰依した善導大師像
善導大師像は中国唐代の僧です。『観経疏』等五部九巻の書物を著したことで知られています。法然上人は彼に深く帰依して浄土宗を開き、開山・然阿良忠上人も善導大師に深く帰依しました。
病を治した繁栄稲荷社
開山、然阿良忠上人が佐助にいたときに小狐を助け、そのお礼に上人の夢の中に親狐が現れて薬種を渡したという伝説が残る神社です。親狐が渡した薬種は疫病に苦しむ人々をたくさん救ったと伝えられています。
上人はその薬効に感謝し、佐助稲荷の分霊を迎えて境内に稲荷社を建てました。
代々の住職が眠る天照山
境内の背後にある天照山の中腹には、開山・然阿良忠上人をはじめ歴代住職の墓所があります。開基である北条経時の墓所もあり、光明寺の歴史が偲ばれる場所です。天照山からの景観は、鎌倉50選に選ばれました。
光明寺
アクセス情報
住所:神奈川県鎌倉市材木座6-17-19
電話番号:0467-22-0603
拝観時間:6~17時(季節によって変動あり)
拝観料:無料
駐車場:あり
交通案内:JR横須賀線鎌倉駅から小坪、逗子駅行バス乗車、光明寺下車徒歩すぐ
公式サイト:http://komyoji-kamakura.or.jp/