鎌倉市大町にある妙法寺は、室町時代から続く日蓮宗の寺院です。江戸時代には、徳川将軍家と御三家から篤く信仰されていました。鎌倉屈指の苔が美しい寺として知られており、中でも苔に覆われた階段は風情があります。
この記事では、妙法寺の見どころや魅力をご紹介しましょう。
日蓮の遺物が残る
寺院の歴史
妙法寺は、日蓮が建てた松葉ヶ谷草庵の跡地に造られた寺院と伝えられています。現在鎌倉には松葉ヶ谷草庵跡地が複数あり、妙本寺もその一つです。
安房から鎌倉に出てきた日蓮は松葉ヶ谷草庵で布教活動を行っていましたが、幕府や他の宗派を激しく非難したために草庵が焼き討ちに遭いました。その後日蓮は同じ場所に法華堂を建立し、本圀寺と称します。
室町時代に本圀寺は京都に移築されました。1357年、日蓮に深く帰依した日叡が本圀寺跡地に父親の護良親王を供養供養するために寺院を再興します。これが妙法寺の始まりです。
江戸時代になると、妙法寺は徳川将軍家と徳川御三家から信仰されるようになりました。中でも十一代将軍、徳川家斉の信仰は篤く、たびたび寺院を訪れたと伝えられています。将軍家だけでなく江戸庶民からも篤く信仰され、江戸市街で定期的に出開帳(本尊を他の場所に運んで公開する行事)が行われました。
現在は、東の苔寺として地元の方や観光客に親しまれています。
苔が美しい
寺院の見どころ
妙法寺は、苔の美しさを含めて見どころが豊富です。ここでは、その中でも必見の場所をご紹介します。
閉じられている総門
妙法寺の総門はこぢんまりとしていて松の木に囲まれています。通常の寺院は総門をくぐって境内に入りますが、妙本寺の総門は閉じていてくぐることはできません。わき道を周りこむと受付がありますので、そこで拝観料を払うと境内に入れます。
細川家によって建立された本堂
現在の本堂は、江戸時代の文政年間に肥後細川家によって建立されました。幼くして亡くなった息女の菩提を弔うために建立されたと伝わっています。
釈尊を祀る大覚殿
本堂の対面には大覚殿が建っています。内部に祀られているのは、釈尊像と肥後細川家より寄進された加藤清正像・法稲荷大明神です。建物の外には賽銭箱と鰐口(わにぐち)が設置されています。
朱塗りの仁王門
大覚殿の先にあるのが仁王門です。総門と同じように、閉じられていてくぐることはできません。門の内部には仁王像が祀られています。全体が朱塗りなのは、江戸時代に将軍の御成(おなり)があったためです。
一番の見どころ 苔むした階段
仁王門の先にある苔むした階段は、妙法寺一番の見どころです。階段下からの眺めが美しいことでよく知られていますが、階段を上った先にある釈迦堂跡から見下ろして眺めるのもおすすめです。ただし、現在は苔を保護するために立ち入り禁止になっているため、新しく造られた別の階段でなければ階段の先に行くことはできません。石段脇にある植物に覆われてしまった灯籠にも風情があります。
本尊を祀る法華堂
現在の法華堂は江戸時代の文化年間に徳川御三家の一つ、水戸徳川家によって建立されました。中に祀られているのは、開山者である日叡が作った本尊、厄除祖師です。法華堂の脇には、日蓮が自ら植えたと伝わるソテツが植わっています。
現在は石仏が建つ釈迦堂跡
苔むした階段を上った先にあるのが釈迦堂跡です。現在は石仏が祀られています。
緑に囲まれた鐘楼
釈迦堂跡のすぐ側にあるのが鐘楼です。こぢんまりとしたもので、緑の中に埋もれるように建っています。
松葉ヶ谷草庵が建っていた御小庵蹟
御小庵蹟は、松葉ヶ谷草庵が建っていたと伝わる場所です。現在は石塔が建っています。
開山者の父 護良親王御墓
護良親王は、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の第三皇子です。開山者である日叡の父親で、妙法寺は親王の菩提を弔うために建立されました。御小庵蹟の右手わき道を上った山頂に建っています。ここからは鎌倉市内が一望できるので、時間に余裕のある方は詣でてみるといいですね。
ちなみに護良親王の墓所と称する場所は鎌倉市二階堂の理智光寺跡にもあり、宮内庁は理智光寺跡に建つ墓所を正式なものとしています。
南の方と日叡上人御墓
御小庵蹟の左手にあるわき道を上った先にあるのが、日叡の母親である南の方と日叡上人の陵墓です。苔むした小さなお墓で、歴史の風格を感じさせます。
妙法寺
アクセス情報
住所:神奈川県鎌倉市大町4-7-4
電話番号:0467-22-5813
拝観時間:9時30分~16時30分
拝観休止日:7~9月・11月~3月の平日 雨天時に拝観休止になる可能性あり
拝観料:300円
駐車場:なし
交通案内:JR横須賀線鎌倉駅から徒歩15分