満福寺は七里ヶ浜近くの腰越にある真言宗の寺院です。義経が兄頼朝への嘆願書(腰越状)を書いた寺院として有名で、境内には義経に関する遺物が多く残されています。満福寺自体も歴史が古く、諸国を歩いて仏教の布教に努めた行基が奈良時代に建てた草庵が起こりです。
今回は、鎌倉 満福寺の魅力や見どころをご紹介しましょう。
腰越状で有名な
満福寺の歴史
満福寺の歴史は古く、創建は奈良時代末期の774年。今でも境内には、寺院を開いた行基が加持祈祷をしたと伝えられる行基菩薩御加持瑠璃光水が残っています。
満福寺は、義経が腰越状を書いた寺院として有名です。壇ノ浦で平家を滅ぼした義経は、平家の大将である平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとします。しかし、兄頼朝は鎌倉に義経が入ることを許しませんでした。義経はやむなくこ満福寺に留まり、頼朝宛に嘆願書を書きます。満福寺が腰越にあったため、この書状は腰越状と呼ばれるようになりました。義経の願いは頼朝に届くことなく、義経は鎌倉入りをすることが叶わずに京へ引き返し、最後は奥州平泉へ落ちのびることになります。
満福寺には腰越状の下書きを始めとする義経や弁慶に関する遺物が数多く残っていますから、歴史好きには見逃せない場所です。毎年4月の第3土曜日に行われる義経祭りでは、満福寺で慰霊法要も営まれます。
遺物豊富な
寺院の見どころ
満福寺は義経ゆかりの遺物をはじめとして見どころがたくさんあります。ここでは、その中の一押しをご紹介しましょう。
小さいけれど重厚な造りの山門
寺院の入り口である山門は、江ノ電の線路のすぐ側にあります。規模は大きくありませんが、どっしりとした力強さを感じさせる造りです。山門に至るまでの階段は長くはありませんが急ですので、雨の日は滑らないように要注意。山門をくぐるとすぐに本堂になります。
江戸末期に建てられた鐘楼
満福寺にある鐘楼は鎌倉の光明寺の鐘楼の影響ているといわれ、形もよく似ています。1間(1.82m)四方の小さい鐘楼ですが、趣きのある建物です。
欄間の彫刻が見事な本堂
山門をくぐると、すぐに本堂があります。本堂もこじんまりとしていますが欄間にある獅子の彫刻が見事です。見逃しがちですが、本堂正面の屋根下には、腰越状をしたためる義経の姿も彫られています。
義経の人生を描いた鎌倉彫襖絵
本堂の中には、鎌倉彫の技法を利用して描かれた襖絵が飾られています。描かれているのは義経の生涯です。初陣や静御前との別れ、腰越状をしたためている場面もあります。弁慶が仁王立ちをして最後を迎える図は、迫力を感じさせる美しさです。
鎌倉彫は、鎌倉時代に仏師が宋の漆漆器に影響を受けて始めたと伝えられています。お土産としても有名ですが、その技法を取り入れた襖絵を見られるところはごくわずかです。寺院内には、鎌倉彫の壁飾りも飾られています。
今も残る義経腰越状
寺院に残されている腰越状は、弁慶が書いた下書きと伝えられています。これに、義経が『敵のために命を亡はんことを顧みず』と一文を付け加え、完成させました。下書きと一緒に、江戸時代に造られた版木(印刷の原板のような物)も一緒に展示されています。
平家を打倒しながら鎌倉に入ることのできなかった義経の無念さが伝わってくる遺物です。
いす代わりに使った弁慶の腰掛石
義経の忠実な家臣だった弁慶の遺物も境内には残されています。その一つが弁慶の腰掛石。表面が平らな石はベンチのようにも見えます。
この他にも境内には弁慶がお手玉のように扱ったと伝わる手玉石があり、彼の怪力ぶりが偲ばれる遺物です。
満福寺
アクセス情報
住所:神奈川県鎌倉市腰越2-4-8
電話番号:0467-31-3612
拝観時間:9~17時
休日:無休
拝観料:200円
駐車場:有り(10台)
交通案内:江ノ島電鉄腰越駅より徒歩3分
公式サイト:http://www.manpuku-ji.net/index.html