醍醐寺
?評価について

京都 醍醐寺
国宝・重要文化財が豊富な
世界遺産登録の大寺院

京都市伏見区にある醍醐寺は、真言宗醍醐山派の総本山で、豊臣秀吉が醍醐の花見を行った場所としても有名です。醍醐山を含む境内は約200万坪もあり、京都屈指の大寺院として広く知られています。現在は世界遺産にも指定されており、1年を通じてたくさんの参拝客が訪れる人気の観光スポットです。

この記事では、醍醐寺の魅力や見どころ・歴史・アクセス方法をご紹介します。

平安時代から続く
醍醐寺の歴史

参道(醍醐寺)

参道から西大門を望む

醍醐寺は平安時代に建立され、今日まで多くの人々から信仰を集め続けてきました。この項では、醍醐寺の歴史をかいつまんでご紹介します。

建立から江戸時代まで

醍醐寺は、874年、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)の孫弟子にあたる理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)によって醍醐山山頂付近に建立されました。これが、現在の上醍醐(かみだいご)です。聖宝自身が皇室出身の僧侶だったため、醍醐寺は皇室からの守護を受けて修験者の霊場として発展しました。

その後、醍醐天皇(だいごてんのう)が醍醐寺を自らの祈願寺(私的にお願い事をする寺)に定め、醍醐山の麓に壮麗な伽藍群を建立します。これが現在の下醍醐(しもだいご)です。

1115年、鎌倉時代初期には醍醐寺第14代座主(住職)の勝覚(しょうかく)が門跡寺院である三宝院を建立し、醍醐寺は京都有数の大寺院になりました。

大いに栄えた醍醐寺ですが、応仁の乱による兵火で下醍醐の伽藍は五重塔を残して焼失し、衰退してしまいます。1598年、豊臣秀吉が醍醐の花見を行ったことがきっかけで復興が始まり、焼失した伽藍の大部分が再建されました。

江戸時代から現代まで

江戸時代、醍醐寺は幕府の許可を得て三宝院に属する修験者(山伏)を当山派と称するようになります。江戸時代の間、醍醐寺は山岳修行の中心として全国から信徒が集まりました。

明治時代に入ると、神仏分離の影響で廃仏毀釈運動が盛んになり、醍醐寺も多くの子院を失います。しかし、幸いにも寺宝などが流出することもなく、醍醐寺自体の伽藍が壊されることはありませんでした。

その後、何度か火災や震災によって伽藍の一部が被害を受けましたが大きく荒廃することなく現在に至ります。1994年(平成6年)には世界遺産に登録されました。

自然豊かな
醍醐寺の魅力

醍醐寺は自然豊かで広大な境内の中に堂宇(どうう)が点在し、1年を通じて様々な行事が行われています。この項では、そんな醍醐寺の魅力をご紹介しましょう。

春の桜

春(醍醐寺)

醍醐寺の枝垂桜

醍醐寺の境内には約千本の桜が植えられており、その美しさは花の醍醐という別名があるほどです。桜の種類もソメイヨシノをはじめヤマザクラ・枝垂桜・八重桜と豊富で、3月下旬から3週間程度の間、桜の花が楽しめます。中でも三宝院の大紅しだれ・霊宝館の枝垂桜・金堂脇の大ヤマザクラは見事です。

毎年4月の第二日曜日には、豊臣秀吉による醍醐の花見を再現した「太閤花見行列」が開催され、時代行列や舞楽の奉納などが行われます。花の中を進む行列はとても華やかです。桜の花が見頃を迎える頃には、桜のライトアップや夜間拝観も行われます。

秋の紅葉

秋(醍醐寺)

美しい紅葉と池のコントラスト

醍醐寺は、桜のみならず秋の紅葉でも有名です。特に、仁王門から続く参道にできるモミジのトンネルや、豊臣秀吉が設計したと伝わる三宝院庭園の紅葉は美しく、毎年参拝者の目を楽しませています。ちなみに、豊臣秀吉は醍醐の花見を行った後で紅葉狩りを行う予定でしたが、その前に亡くなってしまいました。

桜の季節と同じく、紅葉が見ごろを迎える時期にはライトアップや夜間拝観が行われます。夜は冷えるので、暖かい格好をして訪れるといいですね。

上醍醐へ向かう参道

上醍醐は、醍醐山の参道から山頂にかけて伽藍が点在する山岳修行の地です。参道はほぼ山道で、山登りをするつもりで装備を調えて登るとよいでしょう。参道の周囲は自然豊かで、ピクニック気分が楽しめます。特に、夏は木々の緑が一番色鮮やかになる季節です。山の中なので気温も平地よりは高くありません。丸一日かけて醍醐寺拝観と醍醐山登山を楽しむのもおすすめです。

広大な醍醐寺
境内の見どころ

醍醐寺の境内は広大で、上醍醐・下醍醐・三宝院のエリアに分かれています。この項では、それぞれの見どころを詳しくご紹介していきましょう。

上醍醐

上醍醐は、理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)によって最初に開かれた醍醐寺発祥の地です。醍醐山山頂付近には、国宝や重要文化財に指定されている建物が点在しています。

醍醐水

醍醐水(醍醐寺)

醍醐水

醍醐水は、理源大師聖宝が醍醐寺を建立する際に見つけたと伝わる霊水です。伝説によると、この山を守護する横尾明神(よこおみょうじん)が聖宝の前に現れてこの水を飲み、「醍醐なるかな」と言い残して消えたといわれています。醍醐寺・醍醐山の名は神様の発したこの言葉が由来です。

現在もこの水は飲むことができます。泉の付近にはある建物は、聖宝が建てた隠遁所(いんとんじょ)です。

清瀧宮拝殿

清瀧宮拝殿(醍醐寺)

清瀧宮拝殿

国宝にも指定されている清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿は室町時代に造られました。拝殿とは神社の本宮を拝むための建物で、清瀧宮拝殿は醍醐寺の守護女神を祀る清瀧宮を参拝するために造られました。山の中腹をわずかに切り開いて建立されたため、前面が崖に差しかかる懸造り(かけづくり)となっています。これは、清水寺の本堂などと同じ造りです。建物自体は、寝殿造りの技法を取り入れた造りとなっています。

准胝堂跡

准胝堂跡(醍醐寺)

准胝堂跡

准胝堂(じゅんていどう)はもともと上醍醐の本堂に当たる建物でした。醍醐寺は、近畿一円と岐阜に点在する観音霊場を巡る西国三十三か所の第十一番札所にあたります。准胝堂は納経や御朱印の授与などを行っていた場所でしたが、2008年(平成20年)に落雷による火災によって焼失してしまいました。現在は、復旧に向けた工事が行われています。

薬師堂

薬師堂(醍醐寺)

薬師堂

薬師堂は913年に醍醐天皇の御願堂(願い事を行うお堂)として、建立されました。兵火や災害にも耐え抜いて建立当時のまま現存しており、国宝に指定されています。本尊の薬師如来像も国宝に指定されており、大変貴重な建物です。本尊は現在、宝物館である霊宝殿に安置されており、ここには代わりの薬師如来像が安置されています。内部を見学することはできません。外側だけの見学になります。

五大堂

五大堂(醍醐寺)

五大堂

五大堂は、薬師堂と同じく913年に醍醐天皇の御願堂として建立されました。災害や兵火にあい何度か建て直されており、現在の建物は1940年(昭和15年)に再建されたものです。

お堂の前には、向かって左から観賢僧正(かんけんそうじょう)・理源大師聖宝(りげんだいじしょうほう)・役小角(えんのおづの)の像が建っています。観賢僧正は、聖宝の後に醍醐寺の住職を務めた人物です。役小角は修験道の祖として信仰されています。

本尊は不動明王をはじめとする五大明王で、災害や病苦を肩代わりしてくれる災難身代わりのご利益があることで有名です。

如意輪堂

如意輪堂(醍醐寺)

如意輪堂

如意輪堂(にょいりんどう)は、理源大師聖宝(りげんだいじしょうほう)が醍醐寺を建立された際、准胝堂(じゅんていどう)と共に建てられました。現在の如意輪堂は1613年に建立されたもので、清瀧宮拝殿と同じく懸け造りです。本尊の如意輪観音の他、毘沙門天と吉祥天(きっしょうてん)が祀られており、重要文化財に指定されています。

開山堂

開山堂(醍醐寺)

開山堂

開山堂は、理源大師聖宝(りげんだいじしょうほう)をお祀りしているお堂です。聖宝の後に住職を務めた観賢僧正(かんけんそうじょう)によって建立されました。現在の開山堂は安土桃山時代に豊臣秀頼によって再建されたもので、重要文化財に指定されています。

理源大師像

開山堂には、開山者(寺院を建立した僧侶)の理源大師聖宝(りげんだいじしょうほう)が弘法大師空海の像・観賢僧正(かんけんそうじょう)の像と共に祀られています。かつては観賢僧正が造った理源大師聖宝の像が安置されていました。しかし、1260年に開山堂が焼失した際に像も共に焼けてしまい、現在の像は1261年に再度作られたものです。現在は、重要文化財に指定されています。

下醍醐

下醍醐は、金堂を中心とした伽藍群であり、五重塔以外は主に安土桃山時代に豊臣秀吉が再建したものです。醍醐寺の年中行事も主に下醍醐で行われています。

西大門(仁王門)

西大門(醍醐寺)

西大門(仁王門)

西大門(仁王門)は、1605年に豊臣秀頼によって再建されました。内部に祀られている仁王像は平安時代中期に造られたもので、現在は重要文化財に指定されています。仁王像はもともと南大門の内部に安置されていましたが、西大門の再建によって移されました。

西大門から続く参道は、春になると桜・秋になるとモミジのトンネルが現れ、参拝者の目を楽しませています。

清瀧宮本殿・清瀧宮拝殿

清瀧宮拝殿(醍醐寺)

清瀧宮拝殿(下醍醐 )

清瀧宮本殿・清瀧宮拝殿では、醍醐寺の総鎮守である清瀧権現(せいりゅうごんげん)を上醍醐のお社(やしろ)から分霊してお祀りしています。現在の建物は1517年に再建されたものです。

清瀧宮本殿(醍醐寺)

清瀧宮本殿

本殿は重要文化財に指定されており、毎年春には清瀧権現桜会(せいりゅうごんげんさくらえ)と呼ばれる法要が行われています。

金堂(本堂)

金堂(醍醐寺)

金堂(本堂)

金堂は下醍醐の中心に建てられている建物で、本堂にあたります。現在の建物は豊臣秀吉の命令により、1600年に紀州(和歌山県)の湯浅から移築されたものです。

内部には、重要文化財に指定されている薬師如来三尊像が安置されており、三尊像の両脇には平安時代に作られた四天王像が祀られています。

五重塔

五重塔(醍醐寺)

五重塔

五重塔は京都府で最も古い木造建築物で、下醍醐の中で唯一建立された当時のまま現存している建物です。951年、醍醐天皇の冥福を祈るために息子である朱雀天皇・村上天皇によって建立されました。現在は国宝に指定されています。

塔の内部に描かれている両界曼荼羅(りょうかいまんだら)や真言八祖像(しんごんはっそぞう)は、日本の密教絵画の源流をなす歴史的価値の高いものです。特に真言八祖の一人として描かれている空海は、絵画史上最古の空海像といわれています。

不動堂・護摩道場

護摩道場(醍醐寺)

不動堂・護摩道場

不動堂・護摩道場は、不動明王をはじめとする五大明王をお祀りしているお堂です。護摩法要などはこの道場で行われています。

真如三昧耶堂

真如三昧耶堂(しんにょさんまやどう)は、朱雀天皇の願いによって法華三昧堂(ほっけざんまいどう)として建立されました。何度も焼失と再建をくり返し、現在の建物は1997年(平成9年)に再建されたものです。

祖師堂

祖師堂(醍醐寺)

祖師堂

祖師堂(そしどう)は、1605年に9代目座主(住職)である義演准后(ぎえんじゅこう)によって建立されました。弘法大師空海とその孫弟子の理源大師聖宝(りげんだいじしょうほう)がお祀りされています。弘法大師が生まれた6月15日に法要が行われることでも有名です。

観音堂(旧大講堂) 西国十一番札所

観音堂(醍醐寺)

観音堂(旧大講堂)

観音堂・林泉・弁天堂・地蔵堂・鐘楼・伝法学院等は、まとめて大伝法院と呼ばれています。1930年(昭和30年)、醍醐天皇の一千年忌を記念して、実業家である山口玄洞(やまぐちげんどう)氏の寄付によって建立されました。現在は、西国三十三か所巡礼の第十一番札所として絶えず巡礼者が訪れています。

弁天堂

弁天堂(醍醐寺)

弁天堂

弁天堂は弁財天が祀られているお堂で、池の畔に建立されています。朱塗りの柱が印象的なこぢんまりとしたお堂です。

成身院(女人堂)

成身院(せいじょういん)は女人堂という通称を持つお堂です。昔は上醍醐へ女性が参拝することは禁じられていたため、上醍醐に祀られている准胝観音(じゅんていかんのん)の分霊などが祀られています。現在の建物は江戸時代初期に再建されたものです。

報恩院

報恩院(醍醐寺)

報恩院

報恩院は、毎日護摩法要が行われるお堂です。かつては極楽坊と呼ばれる僧坊の一つでした。それを、第三十五代座主(住職)の憲深僧正が報恩院と名を変えて、活動の拠点としたと伝えられています。江戸時代に上醍醐から下醍醐へ移された建物です。

霊宝館

霊宝館(醍醐寺)

霊宝館

霊宝館は醍醐寺に伝わる寺宝を10万点以上収蔵している宝物館です。国宝や重要文化財に指定されているものだけでも7万5千点以上あり、仏教美術好きな方にとっては一見の価値があります。毎年、春と夏に特別公開されますので、その時期に合わせて訪れるのもおすすめです。

三宝院

三宝院は、1115年に第14代座主(住職)の勝覚僧正(しょうかくそうじょう)によって造られました。以後、歴代座主が居住する坊になっています。現在は一部のみが公開されており、その大部分が重要文化財に指定されている建物です。

唐門

唐門(醍醐寺)

唐門

唐門は国宝に指定されている壮麗な門です。朝廷から使者が訪れた時にだけ使用される門で、現在は閉じられておりくぐることはできません。外からの見学になります。

庭園

三宝院の庭園(醍醐寺)

三宝院の庭園

亀島・鶴島・加茂の三石といった見どころが豊富にある庭園は、表書院から臨むことができます。豊臣秀吉が行った醍醐の花見はこの庭園を中心に行われました。そのため、各国大名が競って名石などを贈ったといわれています。

東南の隅には三段の滝がしつらえてあり、夏は水音が涼し気です。亀島・鶴島は松が美しく、秋には庭全体の紅葉が楽しめます。

表書院

表書院は庭に面しており、平安時代の寝殿造りを取り入れた書院としては一風変わった造りとなっています。上段・中段・下段の3つの間があり、下段の間は畳を上げれば能舞台としても使用可能です。上段・中段の間は下段の間よりも高い位置にあり、下段の間で演じられる能や狂言が見やすく造られています。

上段・中段の間には長谷川等伯一派、下段の間には石田幽汀(いしだゆうてい)が描いた襖絵が飾られているので、庭と併せてじっくりと見学するのがおすすめです。現在、書院は国宝に指定されています。

豊国大明神

豊国大明神は、豊臣秀吉を祀る神社です。下醍醐の伽藍を復旧するために尽力した秀吉の功をねぎらって建立されました。

枕流亭

枕流亭は、庭の南東に建つ茶室です。内部が3部屋あり、茶室としては大きな造りとなっています。棕櫚(シュロ)や栗といった珍しい木が柱に使われているのが特徴的です。

純浄観

純浄観(じゅんじょうかん)は、豊臣秀吉が槍山で花見をした際に使われた建物を移築したものです。飾られている襖絵は、平成に入ってから浜田泰介(はまだだいすけ)画伯によって描かれました。重要文化財に指定されており、現在は非公開となっています。

苔庭

苔庭は、別名、酒づくしの庭とも呼ばれている庭です。苔と白砂を使って、ひょうたんとっくりや盃(さかずき)の形が描かれています。美しい庭ですが、現在は非公開です。

本堂

本堂は、鎌倉時代の仏師である快慶作の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像を本尊としていることから弥勒堂(みろくどう)という別名があります。脇仏として祀られているのは、弘法大師空海と開祖である聖宝(しょうほう)の像です。本堂の裏には護摩壇があり、かつては祈祷も行われていました。現在は非公開となっています。

奥宸殿

奥宸殿は、江戸時代初期に建立された建物です。宸殿は門跡寺院独特の建物で、一般の寺院にはありません。主室の床書院に付けられた違い棚は醍醐棚と呼ばれる見事な造りで、修学院離宮や桂離宮の書院にある違い棚と共に、天下の三大名棚と称されています。重要文化財に指定されており、現在は非公開です。

松月亭

松月亭は江戸末期に造られた茶室で、丸窓が特徴です。現在は非公開になっており、見学はできません。

醍醐寺
まとめ

いかがでしたか? 今回は醍醐寺の魅力や見どころなどをご紹介しました。京都に数ある世界遺産登録の寺院の中でも、醍醐寺は屈指の広さをほこります。隅々までじっくりと見学したい方は、半日くらい時間を取るといいですね。下醍醐から上醍醐へ向かう道は整えられてはいますが、舗装されてはいません。雨の日や雨が降った次の日は滑りやすいので注意しましょう。しばらく晴れの日が続く時期を選んで拝観に訪れるのがおすすめです。

醍醐寺
アクセス情報

住所:京都府京都市伏見区醍醐東大路町22   
電話番号:075-571-0002
拝観時間:9~17時まで(12月の第1日曜日~2月末までは16時30分閉門)
拝観料
下醍醐・三宝院・霊宝館(3か所共通)大人800円・中高生600円・小学生以下無料(季節によって変動あり)
上醍醐 大人600円・中高生400円(※3か所共通拝観件を持っている場合は、それぞれ100円引き)
駐車場:あり
交通案内:京都駅より京阪バス山科急行乗車、醍醐寺下車、徒歩すぐ
公式サイトhttps://www.daigoji.or.jp

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