早雲寺は、戦国武将小田原北条氏の菩提寺として名高い古刹です。早雲寺には北条五代の肖像画をはじめとする貴重な文化財が数多く伝えられています。また、寺院内には梅や桜の古木や早雲寺林と呼ばれる広葉樹林などの自然も豊かです。
今回は、そんな早雲寺の見どころをご紹介します。
北条氏と共に栄えた
早雲寺の歴史
早雲寺は戦国時代に関東一円を支配していた小田原北条氏に庇護され、関東屈指の禅寺として栄えました。ここでは、その歴史をご紹介します。
北条氏が建立して庇護した寺院
早雲寺は1521年、北条氏綱が父である北条早雲の遺言に従って建立した寺院です。京都より以天宗清という臨済宗の僧を招いて開山し、北条氏の菩提寺にもなりました。小田原北条氏は戦国大名として東一円を支配していたため、その庇護を受けた早雲寺も関東屈指の禅寺として栄えたのです。そのため、早雲寺には北条五代画像をはじめとする北条氏ゆかりの文化財が多数伝わっています。
豊臣秀吉によって滅ぼされる
北条氏は1590年に豊臣秀吉によって滅ぼされます。秀吉は北条氏を攻める際、早雲寺に本陣を置きました。しかし、その後石垣山に新たに城が築かれると早雲寺を焼き払ってしまいます。北条氏が滅亡した後、早雲寺は再建する人もなく荒廃してしまいました。
江戸時代に再建される
荒廃した早雲寺は、1627年に十七世菊径宗存という僧によって再建されます。1628年には、3代将軍徳川家光から朱印状が与えられ本格的に復興しました。現在の早雲寺の伽藍はこの時以降に再建されたものばかりです。
ここが一押し
早雲寺の見どころ
早雲寺には見どころがたくさんあり、じっくりと拝観すれば1日がかりになります。今回は、特におすすめの見どころをご紹介しましょう。
山号が掲げられた惣門
惣門とは、寺社の表門のことです。早雲寺の惣門には山号(寺の称号)である「金湯山」の扁額が掲げられています。
俗世との境目 中門
中門は惣門の内側にある門で、俗世と仏様の世界を隔てる意味があります。惣門に比べると質素な作りですが、気持ちを改めてくぐってください。
一夜城で使われた鐘が残る鐘楼
早雲寺の鐘楼は、江戸時代後期に造られたものです。その中につるされている梵鐘が造られたのは鎌倉時代末期。秀吉が小田原攻めの時に、石垣山一夜城で使用したと伝わっています。現在は県の重要文化財に指定されているため、鐘楼の外から見学してください。
急いで再建された本堂
1758年に惣門以外の建物が焼けてしまった後、北条氏政公の二百回忌に合わせて再建が急がれたと記録に残っている建物です。銅葺入母屋造の重厚な造りで、箱根町指定重要文化財となっています。
歴史的な事件の舞台となった茶室
大徳寺 如意庵立花大亀師によって「廬山」と命名された茶室です。静かな佇まいの茶室ですが、利休の高弟 山上宗二が秀吉に殺されるという事件の舞台になった場所でもあります。
多くの俳諧師が参拝した宗祇供養塔
飯尾宗祇は室町時代を代表する連歌師です。連歌とは和歌の上の句と下の句を2人以上が読みあっていく形式のこと。室町時代から江戸時代初期にかけて盛んに行われました。宗祇は美濃(現在の岐阜県)へと帰る途中、箱根湯本で亡くなったと伝えられています。早雲寺にある供養塔は彼をしのんで建てられたもので、江戸時代には北村李吟や服部嵐雪など多くの俳諧師が参拝しました。
関東の覇者 北条五代の墓
旧韮山藩主 北条氏規の子孫、氏治が1670年に建立した供養塔です。早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の五名の名前がそれぞれの墓石に刻まれていますが、その中に遺骸はありません。北条氏は歴史小説やドラマにもよく登場してファンも多いので、参拝客がひんぱんに訪れます。
早雲寺
まとめ
いかがでしたか?今回は北条氏と共に栄えた早雲寺についてご紹介しました。普段は非公開の場所が多いのですが、年に一度、本堂の襖絵と寺宝を特別公開しています。その時に合わせて参拝すれば、普段は見られない場所まで見学可能です。公開日はホームページで発表されるので、チェックしてみてください。一見の価値があるものばかりです。
早雲寺
アクセス情報
住所:神奈川県足柄下郡箱根町湯本405
電話番号:0460-85-5133
拝観料:無料(特別公開時のみ500円)
駐車場:無料
交通案内:箱根湯本駅より徒歩15分
公式ホームページ:http://www.souunji.jp