光則寺
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鎌倉 光則寺
1年中花が楽しめる
日蓮宗の寺院

鎌倉市長谷にある光則寺は、小さい寺院ですが境内には草花がたくさん植えられており、1年中花が楽しめる寺院として有名です。元は鎌倉幕府の御家人、宿屋光則(やどやみつのり)の屋敷でした。光則は日蓮から『立正安国論』を託された人物で、やがて日蓮に帰依して自宅を寺院にしたと伝えられています。

この記事では、光則寺の見どころや魅力をご紹介しましょう。

日蓮の足跡が残る
光則寺の歴史

境内(光則寺)

境内

光則寺を創建した宿屋光則(やどやみつのり)は、鎌倉幕府の御家人で蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)に帰依して出家していた人物でした。日蓮は自らが著した『立正安国論』を宿屋光則に託し、鎌倉幕府五代執権の北条時頼に手渡してくれるように依頼します。『立正安国論』は時頼の手に渡ったものの、当時権勢を誇っていた浄土宗を批判したために日蓮は弟子たちと共に捕らえられ、佐渡へ流されてしまいました。

宿屋三規は日蓮の高弟だった日朗(にちろう)らの身柄を預かり、自宅敷地内の土牢に幽閉します。しかし、日蓮が弟子を案ずる姿に心を打たれ、やがて光則は日蓮に帰依しました。

1274年、日蓮が罪を許されて佐渡から帰ってくると光則は自宅を寺院に建て替え、日朗を開山に迎えて光則寺を建立します。寺院内には、今でも日朗を幽閉した土牢などが残されており、見学可能です。

見どころ豊富な
光則寺の境内

光則寺は四季折々の花はもちろんのこと、その他にも見どころが豊富です。ここでは、花々を含めた境内の見どころをご紹介しましょう。

枝垂桜が目印の山門

山門(光則寺)

山門

光則寺の山門は朱塗りでこぢんまりとしたものです。周囲にはツツジと枝垂桜が植えられ、毎年春になると美しい花々に彩られます。秋になると紅葉が見事です。

江戸時代に再建された本堂

本堂(光則寺)

本堂

現在の本堂は、1650年に再建されたものです。近年改修工事が行われた際、本堂の格天井には136枚の鎌倉彫がはめ込まれました。

鎌倉彫は完成まで2年の歳月をかけた総漆塗りの作品で、境内に咲く花々がモチーフになっています。普段は非公開ですが年に何度か特別公開が行われるので、それに合わせて寺院を訪れてもいいですね。

鎌倉市の天然記念物 カイドウ

カイドウの花(光則寺)

見事なカイドウの花

本堂の前には、樹齢200年以上と推測されるカイドウの木が植わっています。鎌倉市の天然記念物に指定されており、毎年4月中旬頃に見事な花を咲かせることで有名です。光則寺のシンボル的な花で、見頃を迎える時期になると大勢の観光客が訪れます。

今も残る日朗の土牢

土牢(光則寺)

土牢

境内の奥には、日朗(にちろう)が幽閉された土牢が今も残っています。山肌をくり抜いた穴倉に格子戸をつけたもので、その脇に建っているのは日蓮が日朗に送ったという手紙、土籠御所(つちろうごしょ)の石碑です。土籠御所には日朗の身を案じ、牢から出られたら佐渡に来るようにと書かれていたと伝えられています。

立正安国論御勘由来聖筆碑

立正安国論御勘由来聖筆碑(光則寺)

立正安国論御勘由来聖筆碑

立正安国論御勘由来聖筆碑(りっしょうあんこくろんごかんゆらいせいひつひ)は、本堂の対面に建っている大きな石碑です。日蓮が、当時の最高権力者であった北条時頼に立正安国論を献上した経緯が記載されています。隣に建っているのは副碑です。

寺院の創建者 宿谷光則墓

土牢の側にあるのが、光則寺を創建した宿谷光則のお墓です。土牢と同じく山肌をくり抜いた小さな穴倉の中に建っています。花の寺らしく、墓所の周囲は緑が豊富です。

法華経を信仰した宮沢賢治の詩碑

明治時代に活躍した宮沢賢治は、法華経を篤く信仰していました。詩碑には有名な『雨ニモマケズ』の詩が刻まれています。

光則寺
アクセス情報

住所:神奈川県鎌倉市長谷3-9-7
電話番号:0467-22-2077
拝観時間:7時30分~日没
拝観料:100円
駐車場:なし
交通案内:江ノ島電鉄長谷駅から徒歩7分

光則寺

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