京都市祇園からほど近い下京区仏光寺通沿いにある佛光寺は、真宗佛光派の本山です。昔は渋谷(しぶたに)という場所にあり、その当時は浄土真宗の本山である本願寺よりも栄えていたといいます。近年では、門前に掲げられる八行標語がSNSで話題となりました。境内には京都造形芸術大学とコラボしたデザインストア兼カフェがあり、寺院でありながらランチやショッピングも楽しめます。
この記事では、佛光寺の魅力や見どころ・歴史・アクセス方法などをご紹介しましょう。
親鸞が開山した
佛光寺の歴史
佛光寺は、浄土真宗の開祖である親鸞(しんらん)が山科に建立した草庵が起源の寺院です。親鸞は1205年に弾圧を受けて越後(新潟県)に流罪になりますが、1205年に罪を許されて京都に戻ります。1212年、親鸞は山科に草庵を建て、その運営を弟子たちに任せて関東に布教へ旅立ちました。
佛光寺が栄え始めたのは、1320年に7代目住職である了源(りょうげん)が寺院を渋谷(しぶたに)の地に移してからです。渋谷は、今でいう京都国立博物館周辺を指す地名だったと考えられています。
同じ頃に現在の浄土真宗本山である本願寺も建立されましたが、当時の願寺はまだ青蓮院の末寺にすぎませんでした。一方、佛光寺は尼寺以外で初めて了明尼公(りょうみょうにこう)という尼僧が住職になり、性別による差別がない寺院として人々の信仰を集めるようになります。しかし、応仁の乱が起こって伽藍の多くが焼失してしまうと次第に勢力が衰え、代わりに本願寺の勢力が大きくなりました。
1536年、佛光寺は豊臣秀吉の命令によって現在の場所に移転します。勢いこそ衰えたものの寺院は人々の信仰を集め続けました。時代を下っても佛光寺は大きな荒廃も衰退もせず、現在も多くの人に支持されています。
地元の方も憩う
佛光寺の魅力
佛光寺の境内は拝観自由で、茶所という建物では地元の方がおしゃべりに興じていたりします。この項では、そんな寺院の魅力をご紹介しましょう。
境内でくつろげる寺院
佛光寺の境内は出入り自由となっており、地域のコミュニティスペースである茶所(さしょ)があります。地元の方以外も自由に使えるので、観光で歩きまわってちょっと疲れた時などに立ち寄るには最適な場所です。境内には京都造形大学とコラボをしたカフェもあり、買い物やランチに利用できます。佛光寺の境内には数本の枝垂桜があり、4月上旬に咲く花が見事です。
心に染み入る八行標語
佛光寺の門前には、月替わりで標語が掲げられます。2014年9月の標語、「ひと月待てた手紙の返事。メールになって一週間。LINEになったら一時間。待てなくなってるせわしないね」という標語はSNSを中心に大きな話題となりました。寺院を見学する前に、まずは標語を読んでみるのもいいですね。
立派な建物が並ぶ
佛光寺の見どころ
佛光寺の境内は決して広くはありませんが、複数の見どころがあります。ここでは、佛光寺の見どころをご紹介しましょう。
阿弥陀堂
現在の阿弥陀堂は、1904年に再建されたものです。山門をくぐるとまず目に入るこの建物は、単層入母屋造本瓦葺(たんそういりもやづくりほんかわらぶき)の重厚な造りをしています。
内部には本尊の阿弥陀如来立像の他、両脇壇に聖徳太子像と法然上人坐像が安置されており、自由に見学可能です。醍醐天皇の位牌も安置されています。
太師堂
太師堂は1886年(明治19年)に再建されたもので、開山者である親鸞上人の坐像や佛光寺を栄させた了源上人の坐像などが祀られています。阿弥陀堂のすぐ隣に位置し、阿弥陀堂と同じ造りの立派な建物です。こちらも見学自由になっています。
聖徳太子立像
聖徳太子立像は、阿弥陀堂に安置されている寄木造の木造です。聖徳太子というと髭を生やして杓をもった姿の絵が有名ですが、この像は少年の姿をしています。
この像は、了源(りょうげん)上人が山科に念仏道場を建立するときに作らせたといわれるものです。昭和初期に行われた調査により、像の内部からそれを裏付ける記録と了源上人の師である了海上人(りょうかいしょうにん)の遺骨が発見されます。これにより、逸話が正しかったことが証明されました。
現存する聖徳太子立像の中では最高傑作といわれ、現在は国の重要文化財に指定されています。
佛光寺
アクセス情報
住所:京都府京都市下京区新開町397
電話番号:075-341-3321
拝観時間:9~16時(15時に受け付け終了)
拝観料:境内自由
駐車場:なし
交通案内:地下鉄四条駅5番出口から徒歩5分
公式サイト:http://www.bukkoji.or.jp