興福寺
?評価について

奈良 興福寺
阿修羅像や五重塔で有名な
奈良を代表する寺院

興福寺は奈良公園内にある寺院の一つで、奈良時代に栄えた仏教宗派、法相宗の大本山です。東大寺と共に奈良を代表する寺院で、国宝に指定されている阿修羅像をはじめ、多数の寺宝を所蔵しています。藤原氏の菩提寺として創建され、明治時代までは春日大社と一体化した大寺院として大変な勢力を誇りました。現在は、古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録されています。

この記事では、興福寺の魅力や見どころ・歴史・アクセス方法などをご紹介しましょう。

奈良を治めていた
興福寺の歴史

全景(興福寺)

興福寺の全景

興福寺は藤原氏の菩提寺として建立され、鎌倉時代から安土桃山時代までは実質的に奈良を治めていました。この項では、興福寺の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

建立から鎌倉時代まで

興福寺は、669年に藤原鎌足の夫人である鏡王女(かがみのおおきみ)が、夫の病気回復を願って山背国(京都市山科区)に建立した寺院が始まりです。創建当時は山階寺(やましなでら)という名前でした。その後、都の遷都と共に興福寺も移転を繰り返します。710年、平城京遷都に伴い、藤原鎌足の息子である不比等(ふひと)が現在の場所に寺院を移転し、興福寺と名付けました。

藤原氏は皇族ともつながりの深い大貴族だったため、興福寺は藤原氏一族だけでなく皇室からも手厚い保護を受けます。奈良時代には興福寺の造営を進める専門の役職が設けられ、国が建立する寺院と同じ扱いを受けていました。平安時代になると春日社(春日大社)の実権も握り、大和国(奈良県)にある荘園のほとんどを所有するようになります。

その勢力は比叡山と並び、南都北嶺(なんとほくりょう)と称されました。塔頭寺院(子院)も百か所を超え、中でも1087年に建立された大乗院は皇族や有力貴族が住職を務める門跡寺院として栄えたといわれています。

1180年、源氏と平氏が戦った治承・寿永の乱が起き、興福寺一帯は平重衡(たいらのしげひら)によって焼き討ちを受けました。これによって、興福寺の伽藍は大半が焼失してしまいます。

その後、朝廷と藤原氏・興福寺が一体となって復興事業に取り組み、現存している建物の多くは、これ以降に造られたものです。また、現存する仏像の多くも鎌倉時代に作られています。

室町時代~現代まで

室町時代まで、幕府は大和国に武士の守護(領主)を置かず、興福寺が大和国を治めていました。安土桃山時代になると、興福寺は豊臣秀吉の支配を受け入れ、春日社と併せて2万1千石の領地を得ています。

江戸時代中ごろの1717年、興福寺は再び大規模な火災に巻き込まれました。この時に金堂・西金堂・講堂・南大門などが焼失し、現在まで再建されていません。

明治時代になると、興福寺は明治政府が発布した神仏分離令を受け、春日社と分離されます。さらに廃仏毀釈の余波を受けて塔頭寺院はすべて廃寺となり、興福寺の僧侶たちは春日大社の神職になりました。

このときに、広大な境内の大部分は奈良公園として整備されています。興福寺に現在まで塀がないのはこの時に取り壊されたためです。一時は興福寺自体も廃寺同然となりましたが、1841年に興福寺再興の許可が下り伽藍が修復されました。

1998年(平成10年)にはユネスコの世界遺産に登録され、世界的にも有名になります。現在は江戸時代に焼失した中金堂が再建中です。

栄華を誇った
興福寺の魅力

興福寺は長い間人々の信仰を集めただけでなく、大和国を治め続けて権勢を誇っていました。この項では、そんな興福寺の魅力をご紹介しましょう。

国宝館内に展示された文化財

興福寺は、長い歴史の中で焼失と再建を繰り返してきました。中でも明治時代に起きた廃仏毀釈の影響は絶大で、現在は創建当時の面影はほとんどなくなっています。しかし、仏像をはじめとする多くの寺宝は健在であり、国宝館内で自由に見学可能です。

興福寺所蔵の仏像というと三面六臂(3つの顔に6本の腕)を持つ阿修羅像が最も知られています。この他にも、旧山田寺仏頭や木造金剛力士像など国宝に指定されている逸品が数多くあり、仏教美術に興味のある方は必見です。

境内の自然

自然(興福寺)

自然が豊富な境内

現在の興福寺は、奈良公園内に伽藍が点在している状態です。ですから、奈良公園を散策するような感覚で堂宇巡りを楽しめます。また、五重塔はいろいろな場所から見ることができるので、園内を散策しながらお気に入りの場所を探すのも面白いですよ。

奈良公園は四季折々の美しさがあり、中でも春の桜と秋の紅葉は格別で、それを目当てにたくさんの観光客が訪れます。特に、歴史ある堂宇と桜や紅葉の組み合わせは一見の価値ありです。

1年を通して行われる行事

興福寺では、年間を通して色々な行事が行われます。その中でも、追儺会(ついなえ・節分)や放生会(ほうじょうえ)は観光客も見学ができるので、行事に併せて興福寺を訪れるのもおすすめです。

また、興福寺では毎年春と秋に野外で能が奉納されています。春は薪能、秋は塔影能と呼ばれており、それぞれ季節に合った演目が上演され地元の方にも人気です。

興福寺境内の
見どころ

興福寺の境内は24時間開放されており、内部が公開されている建物は、個別に拝観料が必要です。この項では、境内の見所を一通りご紹介しましょう。

五重塔

五重塔(興福寺)

五重塔

五重塔は、興福寺だけでなく奈良を象徴する建造物として有名です。藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘であり、聖武天皇の皇后でもあった光明皇后(こうみょうこうごう)の願いによって730年に建立されました。

現在の塔は1426年頃に再建されたもので、高さが50.1mあり、木造の五重塔では東寺五重塔に次ぐ高さです。塔の一階にはは釈迦三尊像・阿弥陀三尊像・弥勒三尊像・薬師三尊像が祀られています。現在は国宝に指定されており、特別拝観の時だけ内部が見学可能です。

南円堂

南円堂(興福寺)

南円堂

南円堂は、813年に藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が、父の菩提を弔うために建立した八角堂です。現在の建物は1789年に再建されたもので、重要文化財に指定されています。中に祀られているのは、国宝に指定されている不空羂索観音像(ふくうけんじゃくかんのんぞう)です。

近畿一円に展開する西国三十三観音霊場の9番札所に指定されており、現在も巡礼者が訪れます。普段は外からの見学になりますが、毎年10月7日に行われる大般若経転読会の時には扉が開けられるので、その時に合わせて訪れるのもおすすめです。

三重塔

三重塔(興福寺)

三重塔

三重塔は、1143年に崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮の願いで建立された建物です。1180年に火災に遭いましたが、すぐに再建されています。興福寺に現存している建物の中では、北円堂と並んで最古のものです。現在は国宝に指定されており、内部には弁財天像や十五童子像が安置されています。

また、内部の壁に描かれた仏や浄土の風景も見事です。特別拝観の時にだけ、内部が公開されます。

北円堂

北円堂(興福寺)

北円堂

北円堂は、721年に藤原不比等(ふじわらふひと)の一周忌を記念して元明上皇・元正天皇が建立しました。建立の指揮を取ったのは、長屋王(ながやのおおきみ)と伝えられています。建立当時、ここは平城京が見下ろせる一等地でした。

現在の建物は1210年ごろに再建されたもので、鎌倉時代に造られたものながら奈良時代の建築物が持つ特徴をよく残しています。内部に祀られているのは、本尊である弥勒如来像や四天王像です。建物も本尊も現在は国宝に指定されており、特別拝観の時だけ内部が公開されます。

東金堂

東金堂(興福寺)

東金堂

東金堂は、726年、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を願って建立した建物です。創建当時は床に緑色のタイルが敷かれていたと伝えられています。その後、被災と再建を繰り返し、現在の建物は1415年に再建されたものです。また、1187年には東金堂に安置する薬師如来像を興福寺の僧兵が飛鳥にある山田寺から強奪してきたという記録も残っています。

東金堂は、常時内部を見学することが可能です現在は、中に安置されている薬師如来三尊像などとともに国宝に指定されています。

国宝館

国宝館は、僧侶が食事をする食堂(じきどう)跡地に建てられた対価式宝物収蔵庫です。現在の建物は1959年(昭和34年)に建てられ、その地下には奈良時代に建てられた食堂の遺構が保存されています。阿修羅像をはじめ、数々の寺宝が常時公開されており、興福寺に訪れるなら必見の場所です。

本坊

本坊は僧侶たちが生活し学問に励んでいた場所で、現在は寺務所として使われています。江戸時代から明治時代にかけて建てられた建物複数から成り立っており、北の持仏堂に祀られているのは重要文化財指定の聖観音菩薩像です。外側のみの見学になります。

大湯屋

大湯屋は文字どおり入浴場で、平安時代に建立されました。かつて風呂は仏道修行の一環でした。現在の建物は1426年頃に再建されたもので、重要文化財に指定されています。内部には鎌倉時代の湯釜が残っていますが、通常は非公開です。

菩提院大御堂

菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)は、法相宗を中国から日本に伝えた玄昉(げんぼう)僧正が住んでいた場所と伝えられています。現在の建物が建立されたのは鎌倉時代のことです。かつては、御堂の周囲に仏像に供える花々が栽培されていたとも伝えられています。御堂内部に祀られているのは、阿弥陀如来像・不空羂索観音像・稚児観音像です。

復興中の中金堂

再建中の中金堂(興福寺)

再建中の中金堂

中金堂は興福寺伽藍の中心的な建物ですが、6回も被災と再建を繰り返しており、1819年に最後の再建が行われました。しかし、この時建てられた建物は仮の建物だったため造りがしっかりとしておらず、1974年に新たに仮金堂が建立され、内部に祀られている仏像などはすべてそちらに移されています。その後、1819年に建てられた金堂は2000年に解体され、現在2018年に落慶予定で新しい中金堂が建設中です。

興福寺の
イベントや行事

この項では、興福寺のイベントや行事をより詳しくご紹介します。行事に併せて寺院を訪れるのもおすすめです。

仏生会

仏生会(ぶっしょうえ)は、毎年4月8日に行われるお釈迦様の誕生を祝う行事です。花まつりとも呼ばれています。興福寺では甘茶接待が行われ、観光客も甘茶のご相伴にあずかる行事です。花に囲まれた釈尊像に甘茶をかけ、1年の無病息災を願います。

文殊会

文殊会(もんじゅえ)は、平安時代初期に生まれた古い仏教行事です。かつては近畿一円で行われていましたが、平安末期に廃れてしまいました。興福寺では、毎年4月17日に文殊会が行われています。子どもたちが五重塔に向かってお練りを行う非常に華やかな行事です。

興福寺
まとめ

いかがでしたか? 今回は興福寺の見所や魅力をご紹介しました。現在、常に公開されている場所は国宝館と東金堂の2つだけですが、外側から建物を見学するだけでも歴史の息吹が感じられます。また、特別公開時に合わせて寺院を訪れれば、普段は見ることのできない建物の内部を見学できるのでおすすめです。

興福寺
アクセス情報

住所:奈良県奈良市登大路町48
電話番号:0742-22-7755
拝観時間:9~17時
拝観料:国宝館・東金堂共通入場料 大人800円・中高生600円・小学生250円
駐車場:あり
交通案内:近鉄奈良駅から徒歩5分
公式サイトhttp://www.kohfukuji.com

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