玉縄城跡は、後北条氏の祖である北条早雲が土地の豪族三浦氏を攻略するために大船に築いた山城の跡です。上杉謙信が当国無双の名城と言ったほどの堅牢な城で、豊臣秀吉の小田原攻めの時まで一度も落ちたことはありませんでした。小田原攻めのときも秀吉の説得によって無血開城しています。本丸跡は現在清泉女学院中学高等の敷地内にあるため、見学には学校の許可が必要です。(平日と土曜の午前中だけ見学可能)
今回は、玉縄城跡の魅力や見どころをご紹介します。
城の面影を残す
場所を見る
玉縄城は、1619年に廃城になってしまいました。現在は城跡も学校や住宅の造成によりほとんど面影が残っていません。その中で、七曲・ふあん坂・諏訪壇はかつての城の様子が比較的よく分かる場所です。
七曲やふあん坂は急坂であり、防御や攻撃の場として使われました。諏訪壇は、本丸の東側にあった土塁で玉縄城の最も高い場所です。見張り台と城主が最後に立てこもる場所を兼ねていて、城の守護神である諏訪神社が立っていました。
玉縄ふるさと館で
城跡の模型を見る
城跡近くの玉縄ふるさと館には、玉縄城域の模型や城跡から出土した礎石などが展示されています。現在、城跡自体は見学の機会が限られているため、こちらに立ち寄って展示物を見学するのもおすすめです。
玉縄城跡
アクセス情報
住所:神奈川県鎌倉市植木48
電話番号:0467-23-3000(鎌倉市役所)
駐車場:なし
交通案内:JR大船駅より徒歩15分
玉縄城跡