吉田松陰寓寄処
?評価について

吉田松陰寓寄処(村山邸)
当時のままの姿が残る
幕末好き必見の史跡

吉田松陰寓寄処(村山邸)は、下田にある吉田松陰が身を隠していた屋敷です。下田は日米和親条約によって函館とともに開港された場所。吉田松陰と愛弟子の金子重輔は、ここから米国の艦に便乗して海外へ密航しようと計画を立てました。吉田松陰は密航が失敗するまでの数日間、村山邸の持ち主である村山行馬郎医師に匿われ、屋敷の2階に滞在していたと伝えられています。

当時の姿が
残っている邸宅

室内(吉田松陰寓寄処)

吉田松陰寓寄処の室内

吉田松陰は幕末に活躍した思想家であり、教育者です。松下村塾で明治維新の時に活躍する多くの人材を育てました。吉田松陰寓寄処(村山邸)は、外国に密航しようとした吉田松陰が役人の目を逃れるためにしばらく隠れて滞在していた場所です。現在の村山邸には、松陰の居間として使われていた2階の天井の低い部屋(隠れの間)や、掘り下げられた内湯の浴槽が当時のままの姿で保存されています。ドラマや小説などにもたびたび登場する邸宅ですから、幕末好きには一見の価値ありです。

吉田松陰の
足跡を感じる

浴室(吉田松陰寓寄処)

吉田松陰寓寄処の浴室

吉田松陰寓寄処(村山邸)には松陰が使ったと伝えられる文机や硯も展示されています。松陰は、ただ屋敷の2階に隠れていたわけではありません。昼間こそ人目を避けて引きこもっていましたが、夜になると部屋を抜け出して海岸へ行き黒船の動向をうかがっていたと伝えられています。密航計画を実行するまでの間に彼がどのような気持ちでこの部屋の中で過ごしていたか、残された品々を見ながら想像してみるのもよいですね。

展示品の
解説も聞ける

吉田松陰寓寄処(村山邸)では、定期的にボランティアの方が邸内の設備や残された吉田松陰ゆかりの品々の解説を行ってくれます。吉田松陰が村山邸に隠れていたときのエピソードなども話してくれるので、面白いと評判です。解説を聞いた後で邸内を見て回れば、より理解も深まります。幕末好きの方ならば、ボランティアの方と話も弾むかもしれません。

下田には村山邸以外にも吉田松陰の足跡がたくさん残されています。希望すればそれらについても解説してくれますので、村山邸を見学した後に松陰の足跡をたどってみるのもおすすめです。

吉田松陰寓寄処(村山邸)
アクセス情報

住所:静岡県下田市蓮台寺300
電話番号:0558-23-5055(下田市教育委員会)
営業時間:9~17時
定休日:水曜日
入館料:一般 100円 学生 50円
駐車場:あり
交通情報:伊豆急下田駅より蓮台寺行きバス乗車、弥五平入口下車、徒歩すぐ

吉田松陰寓寄処

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