京都市北区、きぬかけの路沿いにある金閣寺は、日本はもとより海外でも有名な寺院です。相国寺の山外塔頭で、正式名称を鹿苑寺といいます。元々は室町幕府三代将軍、足利義満の別荘でした。金閣寺の象徴的な建物、金閣は正式には舎利殿という名称で、仏陀の遺骨を祀る仏塔の役目を担っています。創建当時の建物は1950年(昭和25年)に放火によって焼失してしまい、現在の金閣は1955年(昭和30年)に再興されたものです。1994年(平成6年)には世界遺産に登録されました。
この記事では、金閣寺の見どころや魅力をご紹介します。
別荘から寺院へ、
金閣寺の歴史
金閣寺は室町時代に建立された寺院で、500年以上の歴史を持ちます。この項では、金閣寺の歴史をかいつまんでご説明しましょう。
創建から江戸時代まで
金閣寺が建っている場所は、もともと西園寺公経(さいおんじきんつね)が建立した西園寺という名の寺院でした。西園寺は室町時代に荒廃してしまい、室町幕府三代将軍、足利義満が寺院を河内の領地と交換する形で譲り受けます。
1397年、西園寺を改築・増築した義満は、この地を北山山荘と名付けて別荘兼政治の中枢としました。義満の死後は、北山山荘は妻である日野康子(ひのやすこ)の御所になります。
1420年に康子が亡くなると、山荘は義満が残した遺言により相国寺塔頭の禅寺になりました。開山者は夢窓疎石(むそうそせき)で、義満の法号である鹿苑院殿(ろくおんいんでん)から鹿苑寺と名付けられたと伝わっています。
1467年に応仁の乱が始まると、鹿苑寺は西軍の陣となり、金閣以外の建物が多く焼失しました。
江戸時代から現代まで
江戸時代に入ると、焼失した建物の多くが再建されます。焼け残った舎利殿(金閣)も1649年に大修復が行われました。
明治時代初期に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が起こると、多くの寺院が寺領を取り上げられて経済的な基盤を失ってしまいます。そんな中、鹿苑寺の十二世住職だった貫宗承一は、1894年(明治27年)から庭園と金閣の有料一般公開をはじめました。この拝観料によって、寺院は収入を確保します。
1950年(昭和25年)、金閣寺は放火によって内部に安置されていた仏像などと共に焼失してしまいました。その後すぐに再建計画が立ち上がり、同時に寄付金の受付が始まります。金閣寺が再建されたのは、1955年(昭和30年)のことです。
1994年、古都京都の文化財の構成要素として寺院が世界遺産に登録されると、外国にまで金閣の美しさが広く知られるようになります。今では、日本だけでなく外国からの観光客も多く、参拝者が途切れることがありません。
世界遺産
金閣寺の魅力
金閣寺は京都を代表する観光スポットであり、毎日多くの方が拝観に訪れます。この項では、そんな金閣寺の魅力をご紹介しましょう。
水を利用した景勝
金閣寺の境内では、水を巧みに利用して美しい景色を作り出しています。金閣も鏡湖池(きょうこち)という池の畔に建っており、水面に映る姿も見どころの一つです。その他、境内には今も清水が湧き出る銀河泉や竜門滝など、水を利用した見どころがたくさんあります。
境内の建物
金閣寺には、舎利殿(金閣)以外にも複数の建物があります。できたばかりのような美しさを保っている舎利殿とは対照的に、どれも歴史の風格を感じさせる建物です。秋の紅葉や春の桜との組み合わせも美しく、一見の価値があります。
冬と夕刻の金閣
金閣はいつ見ても美しい建物ですが、夕日に照らされた姿や屋根に雪をおいた姿は格別です。屋根に雪をおいた姿は1年に1・2度くらいしか見ることができませんが、夕日は晴れていればいつでも見ることができます。金閣寺の拝観時間は17時までですから、日が短い初秋や秋、冬がおすすめです。夕日に照らされてあかね色に輝く金閣を眺めていると、時間がたつのを忘れてしまいます。
参拝者が絶えない
金閣寺の見どころ
金閣寺には、舎利殿(金閣)を含めて見どころがたくさんあります。この項では、その中でも必見の見どころをご紹介しましょう。
深緑と紅葉が美しい総門
金閣寺の総門は、黒門をくぐってカエデ並木を50mほど進んだ先にあります。重厚な瓦屋根が印象的で、歴史の風格が感じられる門です。
秋になると紅葉と黒瓦のコントラストが美しく、足を止めて眺める方もたくさんいます。夏の新緑と門の組み合わせも見事です。
鎌倉期に造られた鐘を吊るす鐘楼
金閣寺の鐘楼は総門をくぐったすぐ先にあります。吊るされている鐘は西園寺家が建立した西園寺に由来するもので、鎌倉期に造られました。
カエデやモミジなどの紅葉が美しい樹木に囲まれており、秋には建物と紅葉の組み合わせが楽しめます。
京都では珍しい櫟樫
鐘楼のすぐ隣に植わっているのは櫟樫(イチイガシ)という常緑高木で、現在の京都市内ではあまり見られない樹木です。金閣寺が今の伽藍配置に整備された江戸時代初期に植栽されたか、もともとこの地に植えられていたものであると伝えられています。
京都には櫟樫の巨木がほとんど残っておらず貴重であるため、1983年(昭和58年)に京都市の天然記念物に指定されました。
宝船のような舟形石
舟形石は鐘楼の道を挟んで対面にある石です。かつては総門付近にあった馬屋の近くに置かれていました。馬の水飲み用器だったとも手水鉢として使われていたとも伝えられています。宝船のように見えることから、縁起の良い石として有名です。
安土桃山時代に建てられた庫裏
金閣寺の庫裏は、安土桃山時代に建てられたと伝えられています。庫裏は元々台所を指す言葉ですが、禅宗の寺院では玄関として使われることが一般的です。建物の前に植えられた松が白壁によく映えています。秋には紅葉との組み合わせも見事です。
方丈の玄関口 唐門
金閣寺の唐門は方丈への玄関口です。唐破風の曲線が美しい門で、通常は閉じられています。方丈が特別公開される時だけは門の中に入れますので、その時期に合わせて訪れるのもおすすめです。
天皇が植えた 胡蝶侘助
胡蝶侘助(こちょうわびすけ)はツバキの一種です。この木は後水野尾天皇のお手植えと伝えられており、現在全国で栽培されている胡蝶侘助の原木になります。
天皇の寄進によって再興された方丈
方丈とは元々住職の住まいを指す言葉ですが、金閣寺の方丈は本堂に相当するものです。1678年に後水野尾天皇の寄進によって再興された建物で、単層入母屋造りに浅瓦葺の屋根を持ちます。
2005年(平成17年)から2007年(平成20年)まで、大規模な解体修理が行われました。通常は非公開ですが、年に何度か特別公開が行われています。内部に飾られた日本画家、石踊達哉氏と森田りえ子氏の筆による杉戸絵は必見です。
人々を魅了し続ける舎利殿(金閣)
舎利殿(金閣)は鹿苑寺はもとより京都全体を代表する建物です。木造三層建て(3階建て)楼閣建築で、湖池(きょうこち)の畔に建っています。
屋根は方形造りで、屋根の頂に置かれている鳳凰(ほうおう)は銅製です。建物全面に金箔が貼られているイメージがありますが、三層のうち一層には金箔が貼られていません。
一層の内部は寝殿造りで法水院(ほっすいいん)と名付けられています。二層は潮音洞(ちょうおんどう)という武家造で、金箔が貼られているのは外側だけです。三層は内部にまで金箔がびっしりと貼られ、禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。
このように一つの建物内部に三つの様式を組み合わせた舎利殿は他に例がなく、非常に珍しいものです。室町時代を代表する建築物といっても過言ではないでしょう。
通常は外からの見学となり内部には入ることができません。しかし、テレビ番組の取材で内部にカメラが入ることはあり、動画サイトなどで内部の様子を見ることができます。
1987年(昭和62年)に大修理が行なわれ、金箔の貼り替えや漆の塗り替えが行われました。この時、天井画と放火で焼失した足利義満像も復元されています。
池の中に建つ葦原島
葦原島(あしはらじま)は、鏡湖池(きょうこち)の中に造られた小島です。鏡湖池(きょうこち)には、他に鶴島・亀島などがあります。葦原島はその中で最も大きく、葦ならぬ松と苔が植えられ、遠くから見ると緑に覆われて見える島です。鏡湖池(きょうこち)を中心とする鹿苑寺庭園は、国の特別史跡と特別名勝指定地に指定されています。
神さびた社 榊雲
榊雲(しんうん)は、金閣寺の鎮守です。春日明神をお祀りしている小さい祠(ほこら)で、神さびた雰囲気が感じられます。
義満も使った銀河泉
銀河泉(ぎんがすい)は境内に湧き出している泉です。足利義満がお茶の水に使ったという伝説が残っており、今も清水が湧き出しています。
手洗いに使われた巌下水
巌下水(がんかすい)は、足利義満が手洗いに使用したと言われている水場です。苔むした屋根が取り付けられており、独特の風情があります。
隠れた名所 竜門滝
竜門滝は高さ2.3mの滝で、中国の故事である登竜門にちなんで中央に鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。岩にはえた苔と水流の組み合わせが美しく、境内の隠れた名所です。
金閣寺垣と虎渓橋
金閣寺垣は、竜門滝の左側にある山畔に沿って造られた石段脇に設置されている竹の生垣です。寺院の生垣は独自の工夫をされたものが多く、金閣寺垣は小竹垣の代表とされています。石段の登り口に渡された小さな石橋が虎渓橋(こけいきょう)です。
西園寺の遺構 安民沢
安民沢(あんみんたく)は西園寺家の遺構と伝えられている池です。中央の小島に建つ五輪の塔は白蛇塚という名で、西園寺の鎮守ではないかという説があります。
日照りが続いても枯れないことから、昔は雨乞いの場として使われてきました。池の畔には樹木が多く、夏の深緑や秋の紅葉が見事です。
江戸時代に造られた夕佳亭
夕佳亭は茶道家の金森宗和(かなもりそうわ)が江戸時代に建立した茶室で、後水野尾上皇のために建てられたと伝えられています。金森宗和に茶室の建立を依頼した鳳林承章(ほうりんじょうしょう)は、江戸時代に傾きかけた金閣を修理し、池泉庭を再整備した人物です。
南天の床柱と萩の違い棚が有名な数寄屋造りの建物で、夕日に映える金閣寺が佳(よ)いということから夕佳亭と名付けられました。
金閣寺で最も古い建物 不動堂
不動堂は弘法大師空海作と伝わる石不動明王を本尊とするお堂で、金閣寺境内では最も古い建物です。1500年代に宇喜多秀家によって再興されました。江戸時代から庶民の信仰を集め、現在は節分と8月16日に開扉法要(かいひほうよう)が営まれています。
金閣寺(鹿苑寺)
まとめ
いかがでしたか。今回は金閣寺の見どころや魅力をご紹介しました。舎利殿(金閣)が有名すぎるため他の建物に注目が集まりにくいですが、どれも歴史の風格や独自の風情を感じさせるものです。金閣寺の前は混み合うことが多いですが、平日の朝一番であれば比較的空いています。金閣だけを見学して帰ってしまう方もいますが、時間をかけて境内を一周してみるのがおすすめです。
金閣寺(鹿苑寺)
アクセス情報
住所:京都府京都市北区金閣寺町1
電話番号:075-461-0013
拝観時間:9~17時
拝観料:大人400円・小中学生300円
駐車場:あり
交通案内:JR京都駅から203.205系統のバス乗車、金閣寺道駅下車すぐ
公式サイト:http://www.shokoku-ji.jp