知恩院
?評価について

京都 知恩院
大規模な伽藍群で有名な
法然上人ゆかりの寺院

京都東山区にある知恩院は、京都有数の大伽藍群を持つ浄土宗総本山です。法然上人が建立した小さな草庵が元になっており、上人が晩年を過ごした地でもあります。現在ある大規模な伽藍群は江戸時代に入ってから造られたものです。将軍家から一般庶民にまで篤く信仰された寺院で、今でも地元住民からは「ちおいんさん」の愛称で親しまれています。

この記事では、知恩院の魅力や見どころをご紹介しましょう。

開山者は法然上人
知恩院の歴史

法然上人像(知恩院)

法然上人像

浄土宗の総本山である知恩院は、法然上人ゆかりの地に建てられた寺院です。この項では、寺院の歴史を簡単にご紹介します。

開山から江戸時代まで

知恩院を建てたのは、浄土宗の開祖である法然上人です。鎌倉時代初期に現在の勢至堂(せしどう)付近に建てた草庵が始まりといわれています。法然上人は1175年に浄土宗を開きましたが、その教えは既存の仏教勢力から激しい攻撃の対象となり、1207年に香川県へ流罪になりました。1211年に上人は許されて京都へ戻りますが、翌年に80歳で亡くなります。

法然が晩年に暮らしていた住居は大谷禅坊(おおたにぜんぼう)と称されていましたが、1234年に法然の弟子であった勢観房源智(かんぜんぼうげんち)が、四条天皇より華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)の寺号を下賜されました。現在の知恩院の名称はこの寺号に由来するものです。

1467年に応仁の乱が起こると、戦火によって知恩院の伽藍は焼失してしまいます。このとき、住職たちは一時的に滋賀県大津市に避難し、新しく堂舎を建てました。これが現在滋賀県大津市にある新知恩院です。

江戸時代から現在まで

江戸幕府を開いた徳川家康は、熱心な浄土宗の信徒としても知られています。家康は1608年に知恩院の寺領を拡大し、大規模な伽藍の造営に着手しました。伽藍の造営は二代将軍秀忠に引き継がれ、1641年頃に現在の大伽藍群が完成します。

徳川幕府の庇護を受け、寺院は大いに栄えました。江戸時代の間、知恩院の住職は代々皇族が務めましたが、住職たちは徳川家の猶子(相続権を持たない養子)にもなっています。

明治時代になると廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が起こり多くの寺院は衰退していきましたが、知恩院はほとんど影響を受けることはありませんでした。

現在は京都屈指の大伽藍を持つ寺院として全国的に有名になり、参拝者が絶えず訪れる人気スポットとなっています。

参拝者が絶えない
寺院の魅力

知恩院はガイドブックや雑誌・テレビなどに広く紹介されており、参拝客が絶えることはありません。ここでは、そんな寺院の魅力をご紹介します。

四季折々の自然を楽しめる

男坂(知恩院)

三門を抜けてすぐの男坂

知恩院には友禅苑と方丈庭園という2つの名園があり、それぞれ樹木や草花がたくさん植えられています。中でも友禅苑は桜やモミジ・カエデが多く、春の花と秋の紅葉が見事です。

知恩院の周辺には有名な紅葉や桜の名所がたくさんあり、寺院の庭園は穴場的なスポットになっています。桜や紅葉が見頃を迎える時期も比較的人が少なく、参拝者からはゆっくりとその美しさを楽しめると好評です。壮大な伽藍と紅葉や桜の組み合わせも風情があります。

数々の寺宝が公開されている

浄土宗の総本山である知恩院は、たくさんの寺宝を所有しています。国宝や重要文化財に指定されているものも一つや二つではありません。

寺宝は、常時公開されているものと年に何度か特別公開されるものがあります。特別公開のについては事前に公式サイトなどに案内が記載されるので、その時期に合わせて訪問するといいですね。

落ち着いて精進料理を味わえる

知恩院では、昼食時に精進料理をいただくことができます。精進料理は動物性の食材を一切使わない健康的な料理です。料金は1,500円から4,000円までとなっています。精進料理を味わいたい場合は、5日前までの予約が必要です。

知恩院の周りは飲食店もたくさんありますが、昼食時はどこも混み合います。ゆっくりと落ちついておいしい料理を味わいたいという方にもおすすめです。

今に伝わる
知恩院の七不思議

知恩院の七不思議とは、昔から寺院に伝わるちょっとした不思議な話や遺物などのことです。ここでは、七不思議の概要をご紹介しましょう。

鴬張りの廊下

鴬張りの廊下は、御影堂から集会堂・大方丈・小方丈に至る約550mの長い廊下です。どんなにそっと歩いても鴬の鳴き声に似た音が聞こえることからこの名がつきました。不審者の侵入を防ぐ一種の警報装置で、室外から室内に忍び込もうとしても廊下を歩いた時点でばれてしまうという仕掛けです。この鶯の鳴き声のような音は、「ホー(法)、ケキョ(聞けよ)」と聞こえるともいわれています。

白木の棺

白木の棺は、三門楼上に安置されている二つのお棺です。中には三代将軍家光から三門造営の命をうけた造営奉行、五味金右衛門(ごみきんえもん)夫婦の木像が納められています。

五味金右衛門は命を削って三門を造営しましたが、予算を大幅に超えてしまったのためにその責任を取って妻と共に自害しました。白木の棺は夫妻の菩提を弔うために作られ、安置されたと伝えられています。

忘れ傘

忘れ傘は、御影堂正面の軒裏にある骨だけになった傘です。この忘れ傘には二つの説があります。一つは、江戸時代初期の名工、左甚五郎が置いていったという説。もう一つは、知恩院第32世の雄誉霊巌(おおよれいがん)上人が御影堂を建立しようとした際、白狐が現れて新しい住処をねだり、それがかなえられたお礼に傘を置いていったという説です。火災除けのお守りとして、現在も大切に保管されています。

抜け雀

知恩院の大方丈にある菊の間には、狩野信政が描いた襖絵が飾られています。この襖絵には紅白の菊と雀が描かれていました。しかし、信政の筆があまりに巧みだったため、雀が襖から飛び去っていったと伝えられてます。名人の描いた絵や彫刻が抜けだすという逸話はたくさんありますが、今日にいたるまで戻ってこないという話は珍しいものです。

三方正面真向の猫

三方正面真向の猫は、抜け雀と同じく狩野信政によって方丈の廊下にある杉戸に描かれました。どこから見ても描かれた猫と目が合うことから、この名が付けられています。

大杓子

大杓子は、方丈入り口廊下の梁上に置かれています。長さ2.5m・重さ30kgの巨大さで、三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)という僧兵が大坂夏の陣で武器として使ったという逸話があるほどです。これ以外にも、大杓子で大坂夏の陣で兵士たちの食事をすくって分け与えたという逸話もあります。

瓜生石

瓜生石(知恩院)

瓜生石

瓜生石(うりゅうせき)は黒門登り口の路上にある大きな石です。周囲に柵が張り巡らせてあるのですぐに分かります。石から瓜が生えたという逸話や、八坂神社の牛頭天王がこの石に来現し一夜のうちに瓜が生えたなど、多くの伝説が残る不思議な石です。この石は知恩院が創建される前からこの地にあったとも伝えられています。

大伽藍群の
見どころ

伽藍(知恩院)

伽藍

知恩院の伽藍には見どころがたくさんあります。ここでは、その中でも特に必見の場所をご紹介しましょう。

国宝の三門

三門(知恩院)

三門

知恩院の三門は、1621年、二代将軍徳川秀忠の命によって建立されました。造営中に火事になりましたが、三代将軍家光によってすぐに再興されています。

高さ24m・横幅50mとなっており、現存する木造建築物としては日本最大級です。入母屋造りに本瓦葺の屋根を持ち、掲げられている華頂山の額は畳2畳分もの大きさがあります。2002年(平成14年)には国宝に指定されました。

三門の楼上は仏堂になっており、重要文化財に指定されている宝冠釈迦牟尼仏像や十六羅漢像が安置されています。壁面や天井には天女や飛龍・迦陵頻伽(かりょうびんが)が極彩色に描かれており、荘厳な雰囲気です。

楼上は通常非公開ですが、特別公開の期間中にだけ公開されます。その時は、七不思議の一つに数えられている白木の棺も見学可能です。

知恩院の中心に位置する御影堂

修理中の御影堂(知恩院)

修理中の御影堂

御影堂(みえいどう)は、法然上人の御影を祀っているお堂です。知恩院の中心に建っており、大殿という別名もあります。法要に使われる建物でもあり、広い室内いっぱいに信者が集まる様子は圧巻です。

1633年に初代御影堂が建立されたものの、すぐに火事で焼失し、1639年に三代将軍家光が再興しました。唐様建築を取り入れた和様建築で、2002年(平成14年)には国宝に指定されています。見どころが豊富なお堂ですが、平成30年までの大修理が行われており、現在は見学できません。

集会堂(法然上人御堂)

集会堂(知恩院)

集会堂(法然上人御堂)

集会堂(しゅうえどう)は1635年に建立された僧侶の修行場です。千畳敷とも言われる広大なお堂で、鴬張りの渡り廊下によって御影堂と結ばれています。

現在は御影堂が大改装工事中のため、集会堂が元祖大師御尊像(がんそたいしごそんぞう)をお祀りする法然上人御堂となりました。像を納めた厨子は常に開けられているので、より間近で像を参拝することができます。

 

明治時代に建てられた阿弥陀堂

阿弥陀堂(知恩院)

阿弥陀堂

阿弥陀堂は御影堂の西側に建つ建物で、初代のものは勢観房源智上人(せいかんぼうげんちしょうにん)によって鎌倉時代に建立されました。1710年に現在の場所に移築されましたが、荒廃が進んだため一度取り壊され、1910年(明治43年)に再建されています。

本尊は像高2.7mある大きな阿弥陀如来像で、入り口に掲げられている大谷寺の額は後奈良天皇の宸筆です。

重要文化財指定の唐門

唐門(知恩院)

唐門(後ろは修理中の御影堂)

唐門は大方丈の玄関へと続く門で、1641年に建立されました。江戸時代に建立されたもので、安土桃山時代に流行した中国の故事に基づく彫刻が見事です。くぐることはできないため、外からの拝観になります。重要文化財にも指定されており、歴史的価値が高い門です。

江戸時代に造られた名書院 方丈

方丈(知恩院)

方丈

知恩院の方丈は大小合わせて2つあり、どちらも1641年に建立されました。洛中随一の名書院として名高い建物です。

大方丈は二条城と同様の書院造りで造られており、狩野一派の筆による金箔・彩色の襖絵が豪奢な雰囲気をかもし出しています。仏間安置されているのは、快慶作と伝えられる本尊阿弥陀如来像です。

小方丈は6室の小さな建物で、襖絵も同じ狩野派が描いたものですが、落ち着いた絵が多く落ち着いた雰囲気に包まれています。周囲に張り巡らされた庭園は見学可能で、名園として有名です。

京都市指定名勝 方丈庭園

方丈庭園(知恩院)

方丈庭園

方丈庭園は小方丈の周囲にある庭園で、名作庭家の小堀遠州と縁がある僧、玉淵(ぎょくえん)によって造られました。池泉回遊式の庭園で、方丈の壮麗な建物との組み合わせも見事です。

紅葉の時期にはライトアップが行われ、昼間とはまた違った幻想的な美しさが楽しめます。苔と白砂のコントラストも美しく、いつまでも眺めていたいと思わせる庭です。京都市の名勝にも指定されています。

狐の住処 濡髪大明神

濡髪大明神(知恩院)

濡髪大明神

濡髪大明神は、知恩院七不思議の忘れ傘を持ってきた狐の住処という言い伝えがある祠(ほこら)です。御影堂を建立するにあたり、もともとこの地に住んでいた狐の新しい住処として知恩院第32世の霊巌(れいがん)上人が建てたといわれています。

濡髪大明神という名の由来は、童子に化けていた狐の髪が濡れていたからということです。元々は火災除けの神様でしたが、現在は縁結びの神様として信仰を集めています。

 

 

 

知恩院発祥の地 勢至堂

勢至堂(知恩院)

勢至堂

勢至堂(せいしどう)は、法然上人が後半生を過ごした大谷禅房(おおたにぜんぼう)の跡地に建てられているお堂です。いわば知恩院発祥の地で、堂内正面に掲げられている知恩教院の額は、後奈良天皇の筆によるものと伝えられています。

現在の勢至堂は1530年に再建された知恩院最古の建物です。本尊の勢至菩薩像(のうしぼさつぞう)と共に重要文化財に指定されてます。

お堂の周囲には桜やアジサイなど美しい花を咲かせる植物が多く植えられており、浄土宗発祥の聖地にふさわしい美しくて清浄な雰囲気です。

法然上人の墓所 御廟

御廟(知恩院)

御廟

御廟(ごびょう)は法然上人の墓所です。上人は1212年に亡くなりましたが、その遺骨は弟子たちによって廟堂(びょうどう)に祀られていました。現在の御廟は、1613年に常陸国土浦藩主(ひたちのくにつちうらはんしゅ)であった松平伊豆守信一(まつだいらいずのかみのぶかず)の寄進を得て改築されたものです。

廟堂の周囲には桃山様式の壮麗な彫刻が施されています。内部は非公開で御廟手前の拝殿から参拝する形です。現在、建物は重要文化財に指定されています。

内部非公開の経蔵

経蔵(知恩院)

経蔵

経蔵は、お経や仏教にかかわりのある書物を納めておく建物で、知恩院の経蔵は重要文化財に指定されています。1621年に建立されたもので、その建築様式は唐様と和様が混じり合った独特のものです。

内部は非公開ですが歴史の風格を感じさせる外観とは対照的に、天井や壁は狩野派の筆による色鮮やかな絵画で埋め尽くされています。内部に安置された八角輪蔵(はっかくりんぞう)に納められているのは、徳川秀忠の寄進による宋版大蔵経約六千帖です。

大鐘を支える大鐘楼

大鐘楼(知恩院)

大鐘楼

知恩院の釣鐘は、1636年に鋳造されたものです。高さ3.3m・直径2.7m・重量約70トンと巨大で、奈良の東大寺に並ぶ大鐘としても知られています。大鐘を吊るす鐘楼も立派な造りで、こちらは1678年に建立されました。この鐘楼は、重要文化財に指定されています。

梵鐘(知恩院)

70トンもある梵鐘

知恩院の鐘は一般的な寺院のものとは異なり、法然上人の御忌大会と大晦日にしか撞(つ)かれません。知恩院で行われる除夜の鐘は、17人がかりで撞く独特なものです。毎年テレビの中継が入るため、見たことがある方も多いと思います。

 

 

隠れた名勝 友禅苑

友禅苑(知恩院)

友禅苑

友禅苑は、着物の染色法として有名な友禅染を考案した宮崎友禅生誕300年を記念して、1954年(昭和29年)に改修造園されました。東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水庭園の2つからなる庭園で、紅葉や桜の隠れた名所としても人気です。苑内の華麓庵と白寿庵という2つの茶室では茶会も開催されています。

知恩院の
楽しみ方

知恩院は伽藍を見学する以外にもさまざまな楽しみ方があります。この項では、その一例をご紹介しましょう。

写経会に参加する

知恩院では毎月13日と23日に写経会を行なっています。通常の写経会は写経をするだけですが、知恩院の会はお昼のお弁当や法話など、内容盛りだくさんです。

予約していくのがおすすめですが、10名以下なら当日席が空いていれば参加できます。道具はすべて用意されていますので、手ぶらで参加可能です。

御朱印をいただく

、静かなブームとなっている御朱印。知恩院でも御朱印をいただけます。知恩院の御朱印は法然上人という文字が書かれている特徴的なもので、旅の記念になること間違いなしです。ただし、御朱印をいただくときにはまず参拝をするのがマナーとなっていますので、注意してください。

知恩院
アクセス情報

住所:京都府京都市東山区林下町400
電話番号:75-541-5141
拝観時間:9~16時30分
拝観料:庭園のみ有料 2園共通券で大人500円・子ども250円
駐車場:あり
交通案内:京阪祇園四条駅より徒歩10分
公式サイトhttp://www.chion-in.or.jp

知恩院

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