浅草神社(浅草)
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浅草神社
夏の訪れを告げる三社祭で有名な
浅草寺ゆかりの神社

東京浅草に位置する浅草神社は、浅草寺本堂の右隣にある神社で三社様とも呼ばれています。東京を代表するお祭り、三社祭の開催地としても有名です。昔は浅草寺とほぼ一体化していた神社で、今でも多くの方が浅草寺と併せて参拝に訪れています。

この記事では、浅草神社の歴史や魅力・ご利益・アクセス方法・開催行事などをご紹介しましょう。

浅草神社の
ご利益

浅草神社には徳川家康をはじめ3柱の神様が祀られています。この項では、そんな神社のご利益をご紹介しましょう。

  • 家内安全
  • 交通安全
  • 商売繁盛
  • 無病息災
  • 病気平癒
  • 安産祈願
  • 身体健全
  • 学業成就
  • 心願成就

明治に独立
浅草神社の歴史

境内(浅草神社)

浅草神社の境内

浅草神社の創立には、浅草寺の本尊である聖観音が深くかかわっています。ここでは、そんな神社の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

浅草寺と浅草神社の関係

浅草神社は、浅草寺の本尊である聖観音菩薩像に関わる3人の人物を祀った神社です。3人の神様を祀っていることから、三社様という別名が付きました。浅草寺とほぼ同一の存在として長い間人々の信仰を集めてきた神社です。

浅草寺の始まり

推古天皇が世の中を治めていた頃、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)兄弟の網に観音菩薩像がかかりました。兄弟はこの像を土地の豪族であった土師真中知(はじのあたいなかとも)の所に持ちこみ、この日より3人は観音像を毎日拝むようになります。土師真中知は剃髪して僧になり、自宅を寺院に改めました。これが浅草寺の始まりです。

浅草神社の始まりと歩み

土師真中知の死後、土師真中知の子が観音菩薩の夢を見ます。夢のお告げに従い、子は檜前浜成・武成兄弟と土師真中知の三者を祀った神社を建立しました。これが浅草神社の始まりです。

浅草神社は実在の人物を祀っているため、歴史は長いものの社格は低く、江戸時代末期までは浅草寺とほぼ同一のものとして扱われてきました。現在では浅草神社のお祭りである三社祭も江戸時代には観音祭や浅草祭という名称だったと伝えられています。

明治になって神仏分離令が発布されると浅草神社は浅草寺から独立し、新たに徳川家康と大国主尊(おおくにぬしのみこと)を合祀しました。これまで、3人の実在してきた人を神様として祀ってきた神社ということで三社と名乗ってきた神社はこれにより正式名を浅草神社と改め現在に至っています。

歴史ある
浅草神社の魅力

浅草神社は浅草寺と共に人々の信仰を集め続けてきました。この項では、そんな神社の魅力をご紹介しましょう。

様々な催しが行われる境内

浅草神社は、浅草寺と共に長い間地元の方々に親しまれてきました。今でも、境内では地元の方が中心となったイベントが1年を通して行われています。利き酒会やミニコンサートなど観光客でも気軽に立ち寄れるものも多いので、観光ついでに立ち寄っても楽しいですよ。イベントの内容や日程は、神社の公式サイトから確認できます。

種類豊富な授受品

浅草神社はご利益が多く、授与されるお守りの数もたくさんあります。スタンダードな形のお守りからシールタイプやカードタイプのお守りまであり、身に付けやすいの魅力的です。社務所の販売所には英語の説明書きもあり、外国の方でも分かりやすくなっています。

浅草神社境内の
見どころ

浅草神社の境内に、は関東大震災や戦争の空襲から奇跡的に被害を免れた建物が現存しています。この項では、境内の見どころをご紹介しましょう。

奉納舞が行われる神楽殿

神楽殿(浅草神社)

神楽殿

浅草神社の神楽殿は、神様へ奉納する奉納舞の舞台です。お神楽のような舞からお囃子まで、1年を通して多くの歌舞音曲が奏でられています。三社祭に行われるびんざさら舞が奉納される場所もこの神楽殿です。

手水舎

手水舎は手を清める場所で、まずここで外界の穢れを落としてから参拝します。浅草神社の手水舎前には大きな桜の木があり、春になると花が見事です。

権現造りの社殿

社殿(浅草神社)

社殿

浅草神社の社殿は三代将軍徳川家光から寄進されたものです。本殿・拝殿・幣殿からなり、拝殿と幣殿(へいでん)が渡り廊下でつながる権現造りです。拝殿と幣殿の外壁には、麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)などの神獣が描かれています。

建立されて以降、江戸はたびたび震災に見舞われ、東京と名を変えてからも関東大震災や戦争の空襲がありました。浅草神社の社殿はそれらの被害を奇跡的にすべて免れ、現在は国の重要文化財に指定されています。

1996年(平成8年)には、社殿の大規模な塗り直しが行われ、往年の鮮やかな色彩がよみがえりました。

被官稲荷神社

被官稲荷神社(浅草神社)

被官稲荷神社

被官稲荷神社は、幕末に新門辰五郎という人物が伏見稲荷大社より分霊を迎え祀った神社です。新門辰五郎の妻が病に倒れた際、伏見稲荷大社に祈願をしたところ無事に平癒したため、お礼の意味を込めて分社したと伝えられています。

神社の名前となっている「被官」には就職を世話するといった意味があり、就職や出世のご利益がある神社として有名です。現在は浅草神社の末社になっています。

三社祭の魅力と
見どころ

浅草神社といえば、5月上旬に開催される三社祭が最も有名です。この項では、その特徴や魅力をご紹介しましょう。

神様が街を練り歩くお祭り

三社祭(浅草神社)

三社祭のお神輿

三社祭は正式名を浅草神社例大祭といい、三基のお神輿をたくさんの人が担いで練り歩くお祭りです。時折激しくお神輿が揺さぶられることもあり、まるで喧嘩をしているようだと不思議がる人もいます。

三社祭に使われる三基のお神輿は、神社の祀神である檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)・土師真中知(はじのあたいなかとも)の乗り物です。お神輿を激しく揺らすのは、神様の力を周囲に示すためといわれています。お神輿を担ぐのは氏子である四十四ヶ町と浅草組合の人たちです。子ども神輿なども出て、当日は大変な賑わいになります。

お神輿が町内を練り歩くのは、神様に氏子である各地区を見ていただくためです。この他、お祭りではびんざさら舞という伝統芸能も行われ、神様に奉納されます。

復活する伝統

三社祭は、明治時代に入る前までは浅草寺と浅草神社共同で行われるお祭りでした。祭りは1年おきでしたが、神事や仏事の内容は今よりもずっと多かったと伝えられています。

神様の乗ったお神輿が浅草寺の聖観音菩薩像と一晩を共に過ごす示現会(しげんえ)という行事や、隅田川をお神輿が渡る行事は明治に一度廃止されてしまいましたが、2000年代から徐々に復活し始めました。現在の三社祭は江戸時代のお祭りに徐々に近づいていっています。

浅草神社
アクセス情報

住所:東京都台東区浅草2-3-1
電話番号:03-3844-1575
拝観料:境内自由
駐車場:近隣のコインパーキングを使用
交通案内:東京メトロ浅草駅から徒歩10分ほど
公式サイトhttp://www.asakusajinja.jp

浅草神社

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