二条城
?評価について

京都 元離宮二条城
世界遺産にも登録された
絢爛豪華な城郭

元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)は京都御所にほど近い洛中に位置する平城(ひらじろ)で、江戸時代初期に徳川家康によって建立されました。家康と豊臣秀頼の会見、大政奉還の舞台としても有名です。現在は、城全体が世界遺産にも登録されており、二の丸御殿は国宝に指定されています。二の丸御殿内の豪華絢爛な内装や庭園の美しさは国外にもよく知られており、1年を通して観光客が絶えることがありません。

そこで今回は、元離宮二条城の魅力や見どころをご紹介しましょう。

徳川家康が築いた
二条城の歴史

全景(二条城)

二条城全景

二条城は、徳川家康が征夷大将軍就任の祝賀の儀を行なったことに始まり、何度も歴史の表舞台に登場しています。この項では、二条城の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

築城~幕末まで

二条城は、1602年に徳川家康が築城を始め、1603年に御殿と呼ばれる城主が生活する建物が完成します。家康はこの時点で落城を宣言し、公家や重臣たちを招いて征夷大将軍に就任した祝賀の儀を開きました。その後、工事は京都所司代、板倉勝重(いたくらかつしげ)の指揮によって続けられ、1611年に五層の天守が完成します。この年、家康は二条城で豊臣秀頼と面会を行いました。この時、家康は秀頼の成長ぶりを恐れ、豊臣家を滅ぼすことを決意したと伝えられています。1612年に徳川幕府と豊臣軍の戦いである大坂冬の陣が起こった際、二条城は徳川家康の本営となり、家康はこの城から大阪城へ出撃しました。

その後は、二代将軍徳川秀忠の娘、和子が後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の元へ入内する際に花嫁行列をしたり、後水尾天皇が行幸(天皇が訪問すること)をしたりと、二条城は徳川幕府と調停を結ぶ架け橋のような役割を果たします。しかし、1630年に徳川家光が30万人の兵を引き連れて上洛したのを最後に、15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が二条城で天皇から将軍職を命じられるまで、歴代将軍が二条城を訪れることはありませんでした。

二条城は明暦の大火や京都地震などで何度も建物を焼失・破損しますが、その度に修復されています。しかし、1750年に落雷により焼失した天守閣は再建されることはありませんでした。また、明暦の大火で焼失した本丸御殿が再建されたのは幕末に慶喜の訪問が決まってからのことです。

幕末に二条城は長州征伐のための本営となりますが、実際に将軍が城から出撃することはありませんでした。1867年に15代将軍徳川慶喜が二条城で大政奉還を行い、政権は幕府の手から新政府の手に移ります。

明治時代~現代まで

明治時代になると、二条城は宮内庁の管轄下に置かれ「二条離宮(にじょうりきゅう)」と呼ばれるようになります。それに伴い、幕末に再建された本丸御殿は撤去されました。

1894年、京都御苑(きょうとぎょえん)に建立されていた旧桂宮邸(きゅうかつらのみやてい)が二条城に移築され、新しい本丸御殿となります。1915年に大正天皇が即位した際には饗宴場として二条城二の丸が使用され、それに伴い、南門や現在も残っている二の丸御殿の付属建物が増築されます。

1939年、二条城は宮内庁から京都市に下賜され、それによって「元離宮二条城」と呼ばれるようになりました。その後、二条城は戦争の被害も免れ、城内の建物は戦後になって国の史跡や国宝・重要文化財に指定されます。

1994年にはユネスコによって「京都古都の文化財」を構成する史跡の一つとして世界遺産に登録されました。現在は、京都を代表する観光名所の一つとして、毎日たくさんの方が訪れています。

絢爛豪華
二条城の魅力

二条城は、京都における江戸幕府の拠点として、贅を尽くして建てられた城郭です。この項では、元離宮二条城の魅力をご紹介します。

華やかな二の丸御殿

二条城の二の丸御殿は、江戸時代における武家風書院造りの代表的な建物で、その内装は安土桃山時代の華やかな文化を今に伝えています。特に、建物内の天井画や狩野派の手によって描かれた襖絵・車寄せの欄間彫刻は必見です。また、特別企画展も定期的に行われています。大政奉還から150周年を迎える2017年には1年を通してさまざまな企画が計画されているので、それに合わせて訪れるのもおすすめです。

四季折々の自然

二条城の敷地内には、400本の桜をはじめ、たくさんの樹木が植えられています。毎年、桜の季節になるとライトアップも行われるため、大変な人気です。桜以外にもツツジやサツキ・サルスベリ・キンモクセイなどが植えられており、1年を通して花が絶えることはありません。冬に見ることのできる降雪とツバキのコントラストも見事です。

数々のイベント

二条城では、1年を通して色々なイベントが行われます。二条城に保管されている文化財の特別展示など文化的なイベントから二条城内早朝マラソンや星空観賞教室・着物着付け教室といった一風変わったものまで盛りだくさんです。イベントは毎年行われるものと、1回限りのものがあります。詳しくは、二条城のホームページや京都市のイベントカレンダーなどをご確認ください。

盛りだくさん
二条城の見どころ

二条城は、広大な敷地の中に数多くの文化遺産があります。この項では、二条城の豊富な見どころのうち、特に必見の場所をご紹介しましょう。

東大手門

東大手門(二条城)

東大手門

東大手門(ひがしおおてもん)は、二条城観光の出発点です。バス停を下りてすぐの場所にあるので、絶好の写真撮影スポットにもなっています。入母屋造、本瓦葺の屋根を持つ櫓門(やぐらもん)で、石垣と石垣の間に渡櫓を作り、その下を門とした形式です。

番所

番所(二条城)

番所

番所は、江戸時代に二条城の警護をしていた武士の詰め所です。二条城は三代将軍家光を最後に、200年以上将軍の訪問がありませんでした。そのため、毎年100人の武士が江戸から京都へ派遣され、留守番役を務めていたのです。江戸時代にはここ以外にもたくさんの番所がありましたが、現存しているのはここだけになっています。

唐門

唐門(二条城)

唐門

唐門(からもん)は、二の丸御殿への入り口です。唐破風(からはふ)という独特の飾りがついているため、唐門と呼ばれています。2011年に平成の大修復が終わり、唐門は築城当時のきらびやかさを取り戻しました。唐破風の下に位置している極彩色の彫刻や、繊細な飾り金具は必見です。門を飾る金具には菊の御紋が彫金されていますが、その下には葵の御紋が刻まれています。これは、明治時代に二条城が徳川幕府から皇室へ所有権が移った証です。

築地塀

築地塀(ついじべい)は、二の丸御殿をぐるりと囲む塀で、現在は重要文化財に指定されています。この塀は、柱と柱の間に板を渡して芯を造り、その上に泥を塗って仕上げられたものです。泥の上に引かれている横線は数が多いほど格式が高いとされており、二条城の築地塀の五本線は、最高の格式を表わしています。

二の丸御殿

二の丸御殿(二条城)

二の丸御殿

二の丸御殿(にのまるごてん)は、国宝に指定されている二条城の中心的な建物です。御殿の代表的な見どころを一つずつ紹介します。

車寄

車寄(二条城)

車寄は、城を訪れた客人が牛車を降りる場所です。唐門を入ってすぐのところに位置しており、屋根には唐破風(からはふ)がついています。表と裏で異なる模様が彫られている欄間彫刻のすばらしさは特に有名です。城内の写真撮影は基本的に禁止されていますが、車寄までは写真撮影ができます。

遠侍

遠侍(とおざむらい)は、二条城に参上した大名の控えの間です。一の間・二の間・三の間・若松の間・勅使の間などに分かれており、それぞれに異なる装飾がなされています。特に、二の間の襖に描かれた虎とヒョウの絵はすばらしく、虎の間という別名があるほどです。遠侍は二の丸で最も広く、約1046.1平方メートルの床面積があります。

式台

式台(二条城)

式台

式台(しきだい)は式台の間とも呼ばれ、各国の大名が江戸幕府の老中職と挨拶を交わした広間です。将軍への献上品もこの広間で取り次ぎされました。広間の南半分が式台の間、北半分が老中の間です。襖絵は、狩野探幽の筆と伝えられています。欄間の繊細な彫刻も必見です。

大広間

大広間(二条城)

大広間

大広間は、一の間~四の間・張台の間(はりだいのま)・納戸で構成されている広間です。張台の間には警護の武士が隠れ、貴人の暗殺を防ぎました。二条城内で最も豪華に作られており、一の間だけでも48畳の広さがあります。将軍と諸大名の謁見の間として使われ、大政奉還も一の間で行われました。

二の間は44畳あり、後水尾天皇が行幸した際、二の丸庭園南庭に作られた能舞台を観賞する見所として使われたと伝えられています。

三の間は外様大名の控えの間であり、欄間には見事なクジャクの図が彫られており、一見の価値ありです。

四の間は将軍が上洛した折、武器を収める部屋として使われました。狩野探幽筆と伝わる老松と鷹が描かれた襖絵が圧巻です。

黒書院

黒書院(二条城)

黒書院

黒書院(くろしょいん)は、江戸時代には大広間に対して小広間と呼ばれていました。将軍と親藩大名や譜代大名が、内密の謁見をした場所と伝わっています。一の間~四の間まであり、それぞれの襖には季節感を重視した襖絵が描かれていることで有名です。狩野探幽の弟、尚信(なおのぶ)の筆と伝えられています。大政奉還が行われる前の会議なども、ここで行われました。

白書院

白書院(二条城)

白書院

白書院(しろしょいん)は、将軍の居間や寝室として使われました。黒書院とは異なり、水墨山水画が山水画として描かれ、落ち着いた雰囲気をかもし出しています。水墨画は、狩野興以(かのうこうい)か長信(ながのぶ)の筆と伝えられているものです。

土塀

土塀は、二の丸南面にある土で作られた塀です。築地塀に比べると実用本位な造りとなっています。

台所

台所は、江戸時代の寛永年間に建てられた建物で、重要文化財に指定されています。土間や板敷きの広間で構成され、江戸時代にはここで料理が作られていました。現在は非公開で、外観だけの見学になります。

御清所

御清所(おきよどころ)は、台所の南に位置する江戸時代初期の建造物です。料理所で作られた料理を盛りつける配膳所の役割を担っていました。重要文化財に指定されており、現在は非公開です。

二の丸庭園

二の丸庭園(二条城)

二の丸庭園

二の丸庭園は安土桃山時代の作庭家、小堀遠州(こぼりえんしゅう)の代表作として名高い、安土桃山式の池泉式回遊庭園です。1953年には、国の名勝に指定されました。二の丸御殿のどこから見てもすばらしい景色が眺められることから、八陣の庭とも呼ばれています。

庭の中心となる池には蓬莱島(ほうらいじま)という小島があり、その南側に鶴島・北側に亀島が位置し、徳川幕府の繁栄を願っている構図です。庭園北西部に流れる滝組は明治時代に作られたものであり、それを囲むような木々も戦後に植えられました。

庭の北側に植えられているソテツは、本来は南国の植物です。京都では栽培が難しいソテツは権力の象徴として好まれ、桂離宮や本願寺にも植えられています。二の丸庭園のソテツは長崎の鍋島藩から送られたと伝えられているものです。

桃山門

桃山門(二条城)

桃山門

桃山門(ももやまもん)は、本丸と二の丸御殿を結ぶ通路の南端に位置する門です。門をくぐると桜の園に通じています。春の美しさは格別です。

本丸櫓門

本丸櫓門(二条城)

本丸櫓門

本丸櫓門(ほんまるやぐらもん)は、三代将軍徳川家光が建立した城門であり、1788年に発生し、本丸を焼失させた天明の大火で唯一焼け残った遺構です。現在は、重要文化財に指定されています。二条城の本丸は内堀で囲まれているため、本丸に入るにはこの門をくぐらなければなりません。入母屋造で本瓦葺の屋根を持つ、重厚な門です。

本丸御殿

本丸御殿(二条城)

本丸御殿

本丸御殿(ほんまるごてん)は、前述したように桂宮邸を1893年に移築した建物です。かつては期間限定で特別公開が行われていましたが、耐震性が不足しているため、現在は非公開となっています。この項では、重要文化財に指定されている建物を中心にご紹介しましょう。

本丸御殿玄関

本丸御殿玄関(二条城)

本丸御殿玄関

玄関は、1847年に建立された国の重要文化財に指定されている建物です。唐破風がついた御車寄(おくるまよせ)や取次詰所(とりつぎつめしょ)・取次之間(とりつぎのま)などから構成されており、銅板葺屋根を持ちます。

台所及び雁之間

台所及び雁之間(だいどころおよびがんのま)は本丸御殿の北側に位置しており、重要文化財に指定されています。台所は、床張りで煙出しがしつらえてあるのが特徴です。雁之間は、襖に雁の絵が描かれていることからこの名が付けられました。

御書院

御書院(二条城)

御書院

御書院(ごしょいん)は本丸御殿を構成する建物の一部で、現在は重要文化財に指定されています。現在は、外観のみ見学可能です。

御常御殿

御常御殿(おつねごてん)は、1849年に建立された建物で、江戸時代末期にしては珍しく3階建てとなっています。2007年度まで特別公開が行われていましたが、現在は外観だけ見学可能です。かつて、内部は狩野派の障壁画で飾られていました。建物すべてが重要文化財に指定されています。

本丸庭園

本丸庭園(二条城)

本丸庭園

本丸庭園(ほんまるていえん)は、1894年に明治天皇の命で作庭されました。井上清兵衛という植木商が作庭したと伝わっており、芝生を主体とした広場のような造りとなっています。二の丸庭園に比べると簡素な造りですが、開放感があるので散策におすすめです。

天守閣跡

天守閣跡(てんしゅかくあと)は、かつて天守閣があった場所です。現在は高台になっており本丸庭園や御常御殿がよく見渡せます。

東南隅櫓

東南隅櫓(二条城)

東南隅櫓

東南隅櫓(とうなんすみやぐら)は、文字どおり城の東南の隅に建てられた見張り用の櫓です。江戸時代初期の1603年に造られ、江戸時代の間に3回ほど改修が行われました。現在は、重要文化財に指定されています。かつては城の四隅に櫓がありましたが、天明の大火によって焼失し、現在は西南隅櫓とここしか残っていません。バスの駐車場のすぐ側にあり、とても目立つ建物です。夜間にはライトアップも行われます。

西南隅櫓

西南隅櫓(二条城)

西南隅櫓

西南隅櫓(せいなんすみやぐら)は、東南隅櫓と同じ頃に造られました。2つの櫓はよく似ていますが、西南隅櫓の方は、西面の破風が向唐破風(むこうからはふ)になっているのが特徴です。重要文化財に指定されています。

清流園(庭園)

清流園(二条城)

清流園

清流園(せいりゅうえん)は、城内北側に1965年に造られた場内で最も新しい庭です。江戸時代に活躍した京都の豪商、角倉了以(すみくらりょうい)の屋敷から建物の一部と庭石を800個、さらに全国各地から集めた庭石300個ほどを用いて造られました。庭園内には和楽庵(わらくあん)という茶室も建てられています。

作庭は、昭和の小堀遠州とも呼ばれる作庭家の中根金作(なかねきんさく)氏です。和風庭園と洋風庭園から成りたっており、賓客の接待などに使われています。普段は非公開ですが、市民大茶会などのイベント時には特別公開されるので、イベントに合わせて訪れるのもおすすめです。

城門

二条城の城門は、東大手門(ひがしおおてもん)・南門(みなみもん)・北大手門(きたおおてもん)・西門(にしもん)の4か所です。二条城内部に設けられた門がきらびやかな装飾が施されているのに対し、城門は堅牢で防御力を優先して造られています。ここでは、それぞれの門を紹介しましょう。

東大手門

東大手門(二条城)

東大手門

東大手門(ひがしおおてもん)は、二条城の正門です。2014年から修理工事に伴い使用できなくなっていましたが、現在は修理が完了し、2017年3月には披露式典が開催されました。築城当初は2階建ての櫓門でしたが、1626年に後水尾天皇の訪問が決まった際、天皇を見下ろさないようにと一重の門になったと言われています。

北大手門

城内北側にある北大手門(きたおおてもん)は、江戸時代初期の1603年に造られた門です。瓦には三つ葉葵の門が刻まれています。重要文化財に指定されており、現在は外側からのみ見学が可能です。

南門

南門(二条城)

南門

南門(みなみもん)は本来城門ではなく、1915年(大正4年)に大正天皇の大典に合わせて作られた通用門です。現在は外堀を渡る橋が取り外されており、閉じられた状態となっています。

西門

西門(にしもん)は江戸時代の寛永期に造られた門です。埋門(うずみもん)と呼ばれる形式の門で、石垣の中に埋まったような形をしています。現在は堀の向こうへ渡る橋がなくなっており、通ることはできません。大政奉還を行った後、徳川慶喜はこの門を通って場外へ出でたという言い伝えが残っています。

城内門

城内門は城の内部にある門で、二の丸御殿と本丸御殿のような建物同士を分けています。唐門のようなきらびやかな飾りが施されているものもあり、写真撮影スポットとしても人気です。

北中仕切門

北中仕切門(二条城)

北中仕切門

北中仕切門(きたなかしきりもん)は、江戸時代の寛永期に建てられた門で、重要文化財に指定されています。石垣を切り取るような形で造られているのが特徴です。この門の東にかつては太鼓櫓がありました。

南中仕切門

南中仕切門(みなみなかしきりもん)は、西二の丸への通路を仕切る門で、江戸時代に造られた二条城と明治時代に移築された本丸御殿を区切っています。重要文化財に指定されており、今は桜の園に向かう通路として使われている門です。

元離宮二条城の
行事やイベント

元離宮二条城では、前述したように1年を通して色々なイベントが行われています。ここでは、その中でも一押しのものをご紹介しましょう。

二条城まつり

二条城まつりは、毎年10月半ばから12月初めにかけて二条城で行われるイベントの総称です。普段は非公開な場所の特別公開がある他、お茶会や着付け教室・京都の名産品展など、さまざまな年代が楽しめるイベントとなっています。特別サイト(2016年度のサイト)も開設されますので、イベントチェックなどもサイトから行えて便利です。

二条城桜まつり

二条城では、毎年3月下旬から4月上旬、桜の開花時期に合わせて桜まつりが行われます。この時期は夜間拝観も行われ、普段は見ることのできない夜の二条城庭園なども見学できるため、人気のお祭りです。築地塀でプロジェクトマッピングも行われ、幽玄の世界を楽しめます。

二条城周辺の
おすすめグルメ

この項では、二条城周辺で楽しめるおすすめグルメをご紹介します。観光の際、参考にしてください。

キッチンゴン

二条城から北へ500mほど行ったところにあるキッチンゴンは、京都のB級グルメ、ピネライスが味わえるお店です。ピネとは、フランス語で薄いカツレツのこと。チャーハンやチキンライスの上にこのピネをのせ、上からデミグラスソースやカレーをかけたワンプレート洋食です。この他、エビフライやオムライスなど昔ながらの洋食も味わえます。

アクセス情報
住所:京都府京都市上京区浮田町613
電話番号:075-801-7563
営業時間:11~22時
定休日:無休
交通情報:地下鉄二条城駅から徒歩12分、もしくは二条城駅からバスに乗車し堀川下立売下車、徒歩5分

デンデン

デンデンは、地下鉄東西線二条城駅前から徒歩7分のところにあるパン屋さんです。朝7時台からオープンしており、総菜パンからサンドイッチ・デニッシュまで豊富に揃っています。パンを買って二条城を見学し、城内でおいしいパンのランチというのもおすすめです。

アクセス情報
住所:京都府京都市中京区上瓦町49-1
電話番号:075-841-1808
営業時間:7~18時30分(土日は7時45分オープン)
定休日:水曜日
交通案内:地下鉄東西線二条城前駅より徒歩7分

めん馬鹿一代

めん馬鹿一代は、京都のラーメン屋を紹介する際、必ず名前が上がる有名店です。ラーメンに乗せられた大量のネギの上に油を注ぎ、火柱をあげるパフォーマンスは地元の方にも大人気。ネギラーメンの他にはチャーシューメンやチャーハンもおいしいく、カップルからファミリーまでおすすめのお店です。

アクセス情報
住所:京都府京都市上京区南伊勢屋町757-2 佐々木ビル
電話番号:075-812-5818
営業時間:11時30分~14時15分・18〜23時
定休日:火曜日
交通案内:地下鉄東西線二条城駅より徒歩7分
公式サイトhttp://www.fireramen.com

元離宮二条城
まとめ

いかがでしたか? 今回は二条城の見所や魅力をご紹介しました。修学旅行やツアーなどでは見学場所に組み込まれていることも多い、人気の観光スポットです。じっくりと見学すれば1日がかりになるほど見どころが豊富なので、ぜひ時間を長めに取って訪れてみてください。春や秋は混み合っていることが多いのですが、ゴールデンウィークを過ぎれば休日でもゆっくりと見学できる日が増えます。建物の細部まで見学したいという方は、5月下旬から6月頃以降がおすすめです。

元離宮二条城
アクセス情報

住所:京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
電話番号:075-841-0096
見学時間:8時45分~16時(閉城17時)
見学休止日:12月・1月・7月・8月の毎週火曜日(祝日の場合は翌水曜日が休み)・年末年始
見学料:大人600円・中高生350円・小学生200円
駐車場:あり
交通案内:地下鉄東西線二条城駅より徒歩1分
公式サイトhttps://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/

元離宮二条城

ページへ

そのカテゴリーで訪れる価値のある場所
遠回りしてでも訪れる価値のある場所
そのために旅行する価値のある場所