静岡浅間神社は静岡市葵区に位置する神社で、神部・浅間・大歳御祖神社の三つの神社の総称です。その歴史は大変古く、2,000年前にはこの地に鎮座していたと伝えられています。徳川家康とゆかりが深い神社で、現在の壮麗な社殿群は徳川幕府の指示によって造営されたものです。静岡県を代表するお祭りの一つ、廿日会祭が開催される神社としても知られています。
今回は、静岡浅間神社の魅力や見どころをご紹介しましょう。
静岡浅間神社の
ご利益
静岡浅間神社の境内には三つの神社があり、それぞれ神様が祀られています。ここでは、そんな神社のご利益をご紹介しましょう。
- 家内安全
- 健康長寿
- 除災招福(災いを退け福を招く)
- 安産
- 子宝授受
- 商売繁盛
- 学問成就
権力者に守られた
神社の歴史
静岡浅間神社の三社はそれぞれ造られた年代が異なり、最も古い歴史を持つのが神部神社です。約2,100年前に造営され、平安時代には駿河国(現・静岡県)の総社になりました。
大歳御祖神社は2番目に歴史が古く、約1,700年前に造営されたと伝えられています。かつては奈古屋神社といい、静岡市の地主神です。
浅間神社は901年に後醍醐天皇の直接の命令により、富士山本宮から分祀されて神部神社のすぐ隣に祀られます。以来、富士山新宮として土地の人々の信仰を集めました。
三つの神社は明治時代まで、それぞれ別の家によって祭祀が行われていたと伝えられています。それとは別に、神社は造営されてから明治まで朝廷やこの地を治めた武将たちによって庇護を受けてきました。
徳川家康は14歳の時にここで元服を行ています。彼は1582年に武田氏を攻略する際、勝利をしたら必ず壮麗な社殿を再建するという誓いを立て、神社の社殿を焼き払ってしまいました。その後、天下を統一した徳川家康は約束どおりに壮麗な社殿を再建します。その後、社殿は2度にわたり火事で焼失しますが、その度に徳川幕府によって再建されました。現在の社殿群は1864年頃に再建されたものです。江戸時代の間、神社は徳川家の祈願所として大いに栄えました。
明治時代になると別々の家で管理されていた三つの神社は、一つの神社となります。その後神仏分離令によって仏教的な物が境内から取り払われますが、神社が寂れたり荒廃したりすることはありませんでした。現在まで「おせんげんさま」の愛称で親しまれ、多くの方の信仰を集めています。
壮麗な建物の
見どころ
徳川幕府によって長い時間をかけて再建された境内の建物は、見どころがたくさんあります。ここでは、その中でも一押しをご紹介しましょう。
立川流彫刻が美しい浅間神社・神部神社
現在、浅間神社と神部神社は重要文化財に指定されている一つの建物に祀られています。比翼三間社流造りの建物の向かって右が神部神社、左が浅間神社の本殿です。建物の屋根付近には、三代にわたって彫られ続けた立川流の見事な彫刻があります。
壮麗な大拝殿
大拝殿は神部神社・浅間神社、両方の拝殿です。社殿の上にさらに別の社殿が載った浅間造りの代表的な建物として知られています。高さが25mあり、殿内の広さは132畳敷きという広大さです。内部の十間の天井は一つに繋がっていて、各部屋ごとに狩野栄信・狩野寛信によって八方にらみの龍と迦陵頻伽(かりょうびんが)・天人の天井絵が描かれています。
躍動感あふれた彫刻が見どころ 楼門
1816年に建てられた神部・浅間神社の楼門は、躍動感にあふれた精密な彫刻が美しい壮麗な建物です。建物は総漆塗りで、2層部分には「當國總社 冨士新宮」という二つの社名が書かれた扁額が掲げられています。
素木造りの舞殿
舞殿(ぶでん)は江戸時代後期に造られた社殿群の中で唯一漆を塗っていない素木造りです。虹梁に施された立川流の彫刻も彩色が施されていません。ここでは廿日会祭に伝統芸能の稚児舞(ちごまい)や奉納舞が行われます。
四つの建物からなる大歳御祖社
大歳御祖社(おおとしみおやしゃ)は、神門・拝殿・唐門・本殿(重要文化財)の四つの建物で構成されています。浅間神社・神部神社の本殿や大拝殿に比べると簡素な造りですが、彫刻や組物には鮮やかな彩色が施されていて見事です。太平洋戦争で江戸時代後期に造られた拝殿と楼門が焼失してしまったため、戦後にコンクリート造りの拝殿と神門が再建されました。
別宮 麓山神社
麓山神社(はやまじんじゃ)はかつて賤機山上に建てられていた本社の別宮です。江戸時代後期に建てられた三間社流造りの建物は、漆塗りで各所に見事な色彩が各施されています。毎年4月22日の例大祭の祭典終了後は昇殿参拝が可能です。
十二支の彫刻が有名な少彦名神社
少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は医薬の神少彦名を主神とし、神部神社の末社十四社の神様を合祀している神社です。摂社とはいえ入母屋造で銅瓦葺の屋根を持つ立派な建物で、蟇股には蟇股には立川流干支彫刻が施されています。12ある干支のうち10は建物の外側に施されていますが、子と丑は建物内部に施されており、見ることができません。
元は仏堂だった八千戈神社
八千戈神社(やちほこじんじゃ)は、徳川家康の念持仏(傍らにずっと置いておく仏様)だった摩利支天をまつる神社です。江戸時代は仏堂扱いでしたが、明治時代に八千戈神社と改められました。
蟇股に施された二十四孝彫刻が有名で、立川流の円熟した技術を見ることができます。その他、妻飾りや各所に施された彩色も見事です。10月15日の例大祭の時には昇殿参拝が行えます。
学問の神様 玉鉾神社
玉鉾神社(たまぼこじんじゃ)は、明治9年に境内に造られた最も新しい神社です。社殿は1976年(昭和51年)に伊勢神宮の御古材で再建されました。
祭神は国学の四大人といわれる羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤です。学問の神様として信仰を集め、3月29日の例大祭には短歌が献詠(けんえい)されます。
旧社務所 斎館
斎館(さいかん)は旧社務所で、かつては御祈祷などが行われていました。現在は茶会などに利用されています。
奉納舞が有名な廿日会祭
神社の例大祭である廿日会祭は、450年以上の歴史があります。毎年4月1日から6日にかけて行われ、大勢の観光客が訪れる静岡を代表する祭りです。特に有名なのが静岡県指定の稚児舞楽(ちごぶがく)で、みやびやかな衣装を着け子供たちが舞殿(ぶでん)で舞を奉納します。
静岡浅間神社
アクセス情報
住所:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1
電話番号:054-245-1820(代)
拝観時間:6~18時
拝観料:無料
駐車場:あり
交通案内:JR静岡駅より路線バス安東循環乗車、浅間神社下車徒歩すぐ
公式サイト:http://www.shizuokasengen.net