京都東山区にある粟田神社(あわたじんじゃ)は、高台に鎮座するこぢんまりとした神社です。その昔、この辺りは粟田口と呼ばれる京都の出入り口で、多くの旅人が行き来していました。神社には旅人が大勢道中の無事を祈願したため、現在は交通安全と旅の安全のご利益がある神社として知られています。この他、昔この地には粟田口派と呼ばれた刀鍛冶の一派が暮らしていたので、実在した刀工や鍛冶の神様が祀られている鍛冶神社が末社として境内に鎮座していることでも有名です。
この記事では、粟田神社の見どころや魅力をご紹介します。
粟田神社の
御利益
粟田神社は、八坂神社と同じ素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀神の一つにしています。ここでは、そんな神社の御利益をご紹介しましょう。
- 病気平癒
- 疫病除け(伝染病にかからない)
- 旅の安全
- 交通安全
御神託で造られた
神社の歴史
粟田神社の創建由緒(理由)には二つの説があります。一つは、876年に天皇に仕える神官や陰陽師が不吉な予言を天皇に告げたため、それを防ぐ目的で建てられたというものです。
不吉な予言を聞いた天皇は、藤原興代(ふじわらのおきよ)という人物に災いを防ぐ方法を探らせました。命を受けた藤原興代は、八坂神社に籠って七日間祈りをささげたといいます。すると、七日目に大己貴神(オオナミチノミコト)の化身と名乗る老人が夢枕に現れ、「自分を祀る神社を建てれば災いは防げる」と告げたそうです。この夢のお告げに従って、現在の地に大己貴神と八坂神社の祀神である素戔嗚命(スサノオノミコト)を祀る神社が建立されたといわれています。
もう一つの説は、孝昭天皇の流れをくむ粟田氏の氏神神社として建立されたというものです。どちらの説が正しいかははっきりしていませんが、いずれにしても、平安時代にはすでにこの地に神社あったといわれています。平安時代末期には、現在建っている場所に移され、その鎮守社になりました。
粟田神社は八坂神社との繋がりが深い神社です。粟田神社の例大祭では、昔から神輿に先行して、剣を模した長い棒の先に様々な飾りをつけた神具、剣鉾(けんほこ)の巡行(剣鉾巡行)が行われてきました。この剣鉾が、祇園祭で使われる山鉾の原型だといわれています。室町時代に祇園祭が行えなくなったときは、粟田神社の例大祭が祇園祭の代わりとされました。例大祭は現在でも毎年10月の体育の日前後に行われ、剣鉾巡行などの行事にはたくさんの観光客が見物に訪れます。
近年まで住宅街の高台に建つひっそりとした神社でしたが、最近は「刀剣乱舞」という日本刀をモチーフにしたゲームの影響で参拝者が増えました。現在、定期的にゲームのキャラクターパネルを展示するなどのコラボイベントが行われています。
歴史ある
境内の見どころ
粟田神社の境内は決して広くはありませんが、見どころは複数あります。ここでは、とくにおすすめの場所をご紹介しましょう。
歴史の風格を感じさせる本殿・拝殿
拝殿は舞台のような造りになっており、2009年(平成21年)に檜皮葺屋根の屋根がふき替えられました。提灯がたくさんぶら下がっており、通常は囲いの外から参拝します。
粟田神社の本殿はこぢんまりとしていますが、歴史の風格を感じさせるどっしりとした造りになっています。夏は木陰が涼しく、長い階段の参道を上ってきた参拝者がほっと一息つける場所です。
境内からのすばらしい眺め
粟田神社は高台に建っているため、境内から京都市内が一望できます。かつては五山の送り火を望むことができましたが、現在は高い建物が建っているので、一部分だけしか見ることができません。夜になると夜景が楽しめます。
紅葉のトンネルを楽しむ
神社の境内にはモミジやカエデなどが多く植えられており、秋には見事な紅葉が楽しめます。中でも参道脇の木々は枝ぶりが見事で、参道に紅葉のアーチができることでも有名です。
ただし、参道は長い上り坂のため足腰が弱い方やベビーカーでは登るのに苦労します。そのような方は、参道下から紅葉を見上げるのがおすすめです。
粟田神社にある
摂社の特徴
神社の境内には本殿の他に摂社が鎮座しています。ここでは、摂社の特徴や見どころなどをご紹介しましょう。
江戸時代から鎮座する北向稲荷神社
北向稲荷神社の創建年代はよく分かっていませんが、江戸時代にはすでにこの場所に鎮座していたと伝えられています。祀られているのは雪丸稲荷と3柱の神様です。雪丸稲荷は、名刀工であった三条小鍛冶宗近が刀を打つときに相槌を務めた狐と伝えられています。この故事は『小鍛冶』という能楽になりました。現在も頻繁に上演されている人気演目です。
出世恵美須神社のご利益
出世恵美須神社(しゅっせえびすじんじゃ)は、源義経が源家再興を祈願した神社と伝えられています。元々は蹴上の夷谷(えびすだに)にありましたが、500年以上前に土砂崩れが起き、ご神体の恵比寿像だけが三条神宮道付近の夷町まで流れてきました。
恵比寿像は天台宗の開祖である最澄の作と伝わっており、寄木造りでは日本最古の恵美須神像といわれています。明治時代に夷町の金蔵寺という寺院から神社に移され、摂社として祀られました。
名前の通り出世のご利益がある他、商売繁盛・家運隆盛のご利益がある神社です。
本殿に像が残されている聖天社
聖天は仏教の神様で、江戸時代までは境内に聖天像をお祀りするお堂がありました。明治時代におこった廃仏毀釈によりお堂は壊され、現在は聖天像だけが本殿に安置されています。
粟田神社にある
末社の特徴
神社の境内には摂社の他に末社も鎮座しています。ここでは、末社の特徴や見どころをご紹介しましょう。
伊勢神宮の代わりだった大神宮
大神宮は、青蓮院の坊官である鳥居小路家の旧宅に鎮護社として祀られていました。鳥居小路家は先祖が伊勢神宮の怒りに触れたため、家の者が伊勢神宮に参拝しようとしてもどうしても叶わなかったと伝えられています。そのため、この大神宮を宅地内に移して伊勢神宮の代わりに参拝していました。神社に移されたのは明治頃だと伝えられています。
実在の刀工を祀る鍛冶神社
鍛冶神社はその名の通り鍛冶の神様を祀る神社で、主祀神は天目一筒神(あめのまひとつのかみ)です。この他、実在した刀工である三条小鍛冶宗近と粟田口藤四郎吉光が祀られています。粟田神社の御朱印帳は刀剣をモチーフにしていますが、これは鍛冶神社に由来するものです。
縁結びの神 多賀社
多賀社は、滋賀県にある多賀神社の分社です。縁結びのご利益があるといわれています。
京洛二十五社の一社 朝日天満宮
朝日天満宮は、その名の通り菅原道真を祀る神社です。こぢんまりとしたかわいらしい社ですが、京洛二十五社の一社に数えられています。
青蓮院に祀られていた吉兵衛神社
吉兵衛神社は、元々青蓮院の境内に祀られていた土地の守護神です。御門の東に奉祀されていたと伝えられています。
青蓮院の西にあった太郎兵衛神社
太郎兵衛神社も吉兵衛神社と同じく青蓮院に祀られていた土地の神様です。吉兵衛神社が東に祀られていたのに対し、太郎兵衛神社は御門の西に祀られていました。高名な陶芸家であった故楠部彌弌(くすべ やいち)氏が信仰していたことでも知られています。
粟田神社
アクセス情報
住所:京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1
電話番号:075-551-3154
拝観料:境内自由
駐車場:付近のコインパーキングを利用
交通案内:地下鉄東西線東山駅下車、徒歩7分
公式サイト:http://awatajinja.jp/