稲村ヶ崎駅(江ノ電観光)
?評価について

江ノ電 稲村ヶ崎駅
映画のロケ地としても有名な
風情ある観光地

稲村ケ崎駅は、鎌倉を出発した江ノ電が海岸沿いに差しかかる稲村ヶ崎にある駅です。付近には鎌倉海浜公園をはじめ、海沿いの風景を楽しめる観光スポットや鎌倉唯一の温泉、稲村ヶ崎温泉があります。サザンオールスターズの桑田佳佑氏が監督を務めた映画『稲村ジェーン』のロケ地としても有名です。

この記事では、稲村ヶ崎駅周辺の見どころやグルメスポットなどをご紹介します。

01. 稲村ヶ崎駅周辺の
一押し見どころ

稲村ヶ崎駅は海岸のすぐ近くに位置し、周辺には海浜公園や海水浴場・温泉などがあります。ここでは、散歩の途中にぶらりと立ち寄ることができる一押しの見どころをご紹介しましょう。

1年中楽しめる鎌倉海浜公園

鎌倉海浜公園(稲村ヶ崎駅)

鎌倉海浜公園

鎌倉海浜公園は、プールや芝生広場・多目的グラウンド・子ども用遊具などがある広い公園です。公園内は由比ヶ浜地区・稲村ヶ崎地区・坂ノ下地区の三つにエリア分けされており、稲村ヶ崎駅に最も近い稲村ヶ崎地区は通称「稲村ヶ崎公園」と呼ばれています。

芝生広場と展望台があり、晴れた日には江ノ島を背景として富士山が望める場所です。新田義貞徒渉伝説地(にったよしさだとほでんせつち)として、国定史跡に指定されています。新田義貞徒渉伝説とは鎌倉時代末期に新田義貞という武将が鎌倉を攻めた際、義貞が剣を海中に投げ込むと引き潮が起こって海を渡ることができたというものです。これによって、稲村ヶ崎伝いに鎌倉に攻め込まれた鎌倉幕府軍は総崩れになりました。

海を見ながら歴史に思いを馳せる、美しい景色を眺めながら自然を満喫するなど、いろいろな楽しみ方ができる公園です。

海の安全を願うボート遭難慰霊碑

ボート遭難慰霊碑(稲村ヶ崎駅)

ボート遭難慰霊碑

ボート遭難慰霊碑は、1910年(明治43年)に発生した七里ヶ浜沖ボート遭難事故の犠牲者を偲んで鎌倉海浜公園の稲村ヶ崎地区内に建てられている碑です。この事故では12名の少年が犠牲となり、後日兄弟で抱き合った姿の遺体が発見されるなど人々の涙を誘いました。

像にはめ込まれている書は、円覚寺の朝比奈宗源(あさひなそうげん)管長によるものです。稲村ヶ崎は今でもサーフィンなどのマリンスポーツが盛んですが、海岸の方を向いて立っている像は海の安全を願い続けているようにも見えます。

ロベルト・コッホ記念碑

ロベルト・コッホ記念碑(稲村ヶ崎駅)

ロベルト・コッホ記念碑

ロベルト・コッホはドイツの細菌学者で、近代細菌学の開祖と呼ばれる高名な人物です。ロベルト・コッホ記念碑は、彼の来日を記念して弟子である北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)氏と鎌倉市の関係者により、1912年(大正元年)に建立されました。

最初は霊仙山の山頂にありましたが、関東大震災で地盤が脆弱化したために1983年(昭和58年)、鎌倉医師会によって鎌倉海浜公園の稲村ヶ崎地区に移されます。

稲村ヶ崎地区は展望台や芝生広場もあるので、散策がてら周囲にある石碑と共に見学するのもいいですね。

市内唯一の天然温泉 稲村ヶ崎温泉

稲村ヶ崎温泉(稲村ヶ崎駅)

稲村ヶ崎温泉

稲村ヶ崎温泉は、稲村ヶ崎駅から徒歩3分の所にある鎌倉市唯一の天然温泉です。稲村ヶ崎公園などの観光スポットにも近いため、海沿いを散歩したり景勝を楽しんだりした後にこの温泉で入浴をしていく人も多くいます。

落ち着いた雰囲気を大切にしたいという理由から、利用できるのは18歳以上からです。同伴者がいても18歳未満の方は入浴はできませんので注意してください。

砂鉄が取れることで有名な稲村ヶ崎

稲村ヶ崎(稲村ヶ崎駅)

稲村ヶ崎

稲村ヶ崎は駅名や地名の由来となった岬で、由比ヶ浜七里ヶ浜の中間に位置しています。かつてはここに海水浴場がありましたが、砂の流出が激しいために閉鎖されました。

砂浜の砂が全体的に黒っぽいのは、砂鉄が多く含まれているからです。この場所は古来から良質の砂鉄が取れたため、鎌倉は鍛冶産業(かじさんぎょう)が盛んでした。現在は鎌倉海浜公園の一部になっており、かながわ景勝50選にも指定されています。

稲村ヶ崎 詳細・アクセス情報

変わった形の西田幾多郎の碑

西田幾多郎歌碑(稲村ヶ崎駅)

西田幾多郎歌碑

西田幾多郎は、現代哲学を代表する西田哲学を樹立した哲学博士です。1933年(昭和8年)から1945年(昭和20年)まで主に夏と冬を稲村ヶ崎で過ごし、この地で亡くなりました。

この歌碑は、1951年(昭和26年)に博士の偉業を記念するために建てられたものです。てるてる坊主のような変わった形をしており、頭部に当たる部分へ和歌が刻まれています。晴れていれば歌碑の向こうに江ノ島や富士山を望むことができ、写真撮影をするのもおすすめです。

鎌倉攻めの史跡、十一人塚

十一人塚(稲村ヶ崎駅)

十一人塚

十一人塚は、鎌倉時代末期に起こった新田義貞の鎌倉攻めに関する史跡です。十一人塚が建てられた背景には以下の出来事があります。

新田義貞は鎌倉に攻めいる際、まずは極楽寺切通からの侵入を試みました。義貞の義兄弟である大館宗氏(おおたちむねうじ)が軍を指揮し、幕府方の大仏貞直(おさらぎさだなお)が率いる軍と衝突します。その結果、宗氏以下11人が討ち死にしました。

十一人塚は、討ち死にした武将の霊を慰めるために建立されたと伝えられています。かつては石碑以外にも十一面観音像が祀られていました。

日蓮が袈裟をかけた日蓮袈裟掛松

日蓮袈裟掛松(稲村ヶ崎駅)

日蓮袈裟掛松

日蓮袈裟掛松(にちれんけさがけのまつ)は、1271年9月21日に龍ノ口の刑場で処刑される予定だった日蓮が、袈裟をかけたと言われる松です。

日蓮宗の開祖、日蓮は、著書である立正安国論(りっしょうあんこくろん)や説法で幕府や既存の仏教を非難したため、捉えられて処刑されることになりました。刑場へと向かう道すがら、僧衣である袈裟を血で汚すのは忍びないと道端の松に袈裟をかけたと伝わっています。しかし、日蓮は御仏の加護で処刑を免れ、その後佐渡へ流罪になりました。

日蓮袈裟掛松は枯れてしまい長い間その場所を示す碑石だけが建っていましたが、現在は新しい松が植わっています。

新田義貞が陣を張った聖福寺跡

聖福寺跡(しょうふくじあと)は、かつて聖福寺谷(しょうふくじや)にあったと伝わる寺院の跡です。石碑が残されているだけですが、新田義貞が鎌倉を攻めた時に陣を張った場所と伝えられています。

聖福寺は1254年に鎌倉幕府、五代執権の北条時頼によって建てられたと伝えられていますが、はっきりしたことは分かっていません。足を止めて石碑を眺め、昔を偲んでみるのもいいですね。

ページへ

そのカテゴリーで訪れる価値のある場所
遠回りしてでも訪れる価値のある場所
そのために旅行する価値のある場所