浅草寺(浅草)
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浅草寺(浅草観音)
浅草の観音さんと親しまれる
東京最古の寺院

浅草寺は東京最古の寺院であり、浅草を代表する観光地です。雷門がある寺院としても有名で、一年を通じて大勢の観光客が訪れます。地元の方には浅草の観音さんとして親しまれ、ほおずき市をはじめ、さまざまな行事が行われる寺院です。

この記事では、浅草寺(浅草観音)の魅力や見どころをご紹介します。

01. 古代から続く
浅草寺の歴史

境内(浅草寺)

境内

浅草寺の歴史は大変古く、一説では奈良時代より前から人々の信仰を集めていたといわれています。この項では、そんな浅草寺の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

建立から江戸時代まで

浅草寺の歴史は、628年に本尊の聖観音菩薩像が隅田川で漁をする檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の網に引っかかったことに始まります。二人がこの観音菩薩像を土師中知(はじのなかとも)の家に持ちこむと、土師中知はこれが聖観音菩薩像であることを兄弟に教えます。そして、土師中知は観音菩薩像に深く帰依して出家し、自宅を寺院に改築しました。この寺院が浅草寺の起原です。

645年、天台宗の高僧、勝海上人(しょうかいじょうにん)が観音堂を建立して聖観音菩薩像を秘仏扱いとします。平安初期には慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によりお前立本尊が造られ、本格的な寺院となりました。942年には平公雅(たいらのきんまさ)が七堂伽藍を建立しています。

このように、聖観音菩薩が人々の信仰を集めるにつれて浅草寺も一緒に発展していきました。

江戸時代から現代まで

江戸時代、徳川幕府は浅草寺を庇護し、三代将軍家光によって本堂をはじめとする伽藍の多くが建て替えられました。これによって、浅草寺は江戸を代表する大寺院となります。

江戸時代を通して浅草寺は庶民から武家まで人々の信仰を集め、寺院周辺は一大観光地として発展していきました。今も続く三社祭りや四万六千日(ほおずき市)なども、この時代に始まったものです。

明治になると神仏分離令が発布され、浅草寺から浅草神社が分離されます。全国各地で寺院が壊され仏像や経典が持ち去られる廃仏毀釈運動が巻き起こりましたが、浅草寺はほとんど被害を受けませんでした。

1945年3月10日に起こった東京大空襲により、浅草寺の本堂や雷門など施設のほとんどが焼失します。戦後、昭和30年代に入ってから個人や団体の寄付により門や本堂は再建されました。現在は東京だけでなく日本を代表する寺院として、年間三千万人の人々が参拝に訪れます。

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