東大寺
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奈良 東大寺
奈良の大仏を本尊とする
世界遺産登録の寺院

奈良公園にある東大寺は、世界的に有名な奈良の大仏(廬舎那仏)を本尊とする寺院です。奈良時代に聖武天皇によって建立されました。興福寺と共に多くの僧侶を輩出し、日本の仏教に大きな影響を与えた寺院です。天災や兵火で何度も伽藍や本尊が焼失しましたが、その度に再建されて現在に至ります。1998年には古都奈良の文化財の一部としてユネスコの世界遺産に登録されました。

この記事では、東大寺の魅力や見どころ・歴史、さらに周辺のおすすめスポットをご紹介しましょう。

01. 国威で建立された
東大寺の歴史

境内(東大寺)

境内の石畳

東大寺は、奈良時代に国の威信をかけて建立され、仏教の発展に貢献し続けた寺院です。この項では、そんな東大寺の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

建立から奈良時代末期まで

東大寺は、奈良時代、聖武天皇と光明皇后の子どもである基親王(もといしんのう)の菩提を弔うために建立された金鍾山寺(きんしょうさんじ)が起源といわれています。聖武天皇は741年、全国に仏教を広めるために国ごとに官製の寺院を建てるように命令をしました。これを、国分寺といいます。この時、金鍾山寺は国分寺に定められ、名も金光明寺(こんこうみょうじ)に改められました。東大寺という名前になったのは、大仏建立が始まった747年のことです。大仏造営の指揮は、日本で初めて民衆に仏教を布教した行基が取りました。

747年に建立が始まった大仏は、750年に完成し、盛大な開眼会(かいげんえ)が行われます。その後も東大寺は堂宇が立てられ続け、伽藍がすべて完成したのは、大仏完成から約30年後のことでした。奈良時代の東大寺は大門・中門・金堂(大仏殿)・講堂などの他、高さ70mもの七重塔が建っていたと伝わっています。

奈良時代の東大寺は南都六宗がすべて学べる六宗兼学の寺であり、その後空海が開いた真言宗と最澄が開いた天台宗が加えられ、八宗兼学の寺と呼ばれるようになりました。

平安時代~鎌倉時代まで

平安時代になると、桓武天皇が南都仏教を抑圧する政策を打ち出し、東大寺は国の保護を受けられなくなります。その後、天災で七重塔が焼失するなどの被害を受けますが、貴族や皇族からの荘園の寄付や寺院自身による荘園の開発などによって、東大寺は興福寺と並ぶほどの力をつけました。

平安時代末期、平重衝(たいらのしげひら)による南都焼討によって東大寺の主要伽藍はすべて焼失してしまいます。鎌倉時代に入ると僧、重源(ちょうげん)を中心に東大寺復興が始まり、鎌倉幕府や朝廷の協力を得て伽藍や大仏が再興されて改めて大仏開眼会が行われました。

室町時代から現代まで

戦国時代になると、東大寺は松永秀久と三好義継の連合軍と三好三人衆との戦いに巻き込まれます。東大寺大仏殿の戦いと呼ばれる戦によって、東大寺の主要伽藍は再び焼失してしまいました。

江戸時代に入ると、五代将軍徳川綱吉とその母、桂昌院(けいしょういん)の手によって、東大寺は3回目の復興をとげます。現在の大仏殿や伽藍の多くはこの時に造られたものです。しかし、講堂・食堂・東西の七重塔などはついに再建が叶いませんでした。現在、これらの建物は礎石や土塁だけが残っています。

明治時代に入ると、東大寺と同じように権勢を誇っていた興福寺が廃仏毀釈の影響を受けて荒廃してしまいました。しかし、東大寺は人々の信仰を集め続け、荒廃することも堂宇が失われることもなく現在に至っています。1998年にユネスコの世界遺産に登録されてからは、日本だけでなく海外からの参拝客も増え、奈良を代表する寺院として参拝者が絶えることはありません。

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