本圀寺
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京都 本圀寺
随所に金色の装飾が施された
加藤清正公ゆかりの寺院

京都山科にある本圀寺(ほんこくじ)は、日蓮宗の大本山です。創建当初は鎌倉にありましたが、室町時代に京都に移転してきました。山梨県にある久遠寺(くおんじ)が東の祖山と呼ばれるのに対し、本圀寺は西の祖山と呼ばれています。現在は、境内のいたるところに金色の装飾が施されている寺院として有名で、多くの観光客が訪れているスポットです。

この記事では、本圀寺の歴史や魅力・見どころ・アクセス方法・拝観時間をご紹介しましょう。

01. 苦難を乗り越えた
本圀寺の歴史

本師堂(本圀寺)

本師堂

本圀寺は、鎌倉時代、鎌倉の松葉谷に本国寺という名前で建立された寺院です。1365年には光明天皇より京都の六条堀川に土地を賜り、京都に移転します。それ以降、西日本における日蓮宗の本拠地として栄えました。

戦国時代になると、織田信長によって足利義昭(あしかがよしあき)の仮御所になります。しかし、足利義昭が三好三人衆により襲撃される事件が起きたことから、本格的な城の必要を迫られ、伽藍の一部や什器が解体されて二条城の建築に用いられました。

その後、豊臣秀吉の臣下である加藤清正が山門などを寄進し、寺院は再建されます。加藤清正は、死後この寺院に葬られました。

1615年、徳川光圀(水戸黄門)は本圀寺で実母の追善供養を行い、その時に圀の字を寺院に送ります。この時から寺院は読みをそのままに本国寺から本圀寺へ改名しました。

江戸時代の間、寺院は朝鮮通信使の宿舎にもなり、国際交流も行われます。しかし、その後天明の大火(京都大火)で伽藍の大部分や経蔵が焼失しました。幕末になると、鳥取藩の尊王攘夷派22名が藩の重臣を暗殺する本圀寺事件が発生します。

明治の廃仏毀釈や太平洋戦争を乗り越えた本圀寺ですが、戦後になると寺院内部の争いが起こり衰退してしまいました。1971年、六条堀川の土地を売却して現在の地に移転し、再び勢いを取り戻し現在に至ります。

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