大覚寺
?評価について

京都 大覚寺
天皇の離宮として造営された
秋の花が美しい寺院

京都嵯峨野にある大覚寺は、真言宗大覚寺派の大本山です。元々は嵯峨天皇の離宮で、後に寺院として改築されました。そのため、皇室ともゆかりが深く、嵯峨御所という別名があります。皇族が住職を務める門跡寺院だったこともあり、伽藍の建物も御所風で雅やかです。歴史的価値も高く、境内全体が史跡に指定されています。

この記事では、大覚寺の見どころや魅力をご紹介しましょう。

離宮から始まる
寺院の歴史

参道(大覚寺)

ドラマの撮影に使われた参道

大覚寺は現在寺院となっていますが、一時期は離宮としての役割も担っていました。この項では、大覚寺の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。

開山から江戸時代まで

平安時代初期、嵯峨天皇がこの地(嵯峨)に離宮を築きます。嵯峨天皇の信任を得ていた弘法大師が、離宮の一角に修行をするために五大明王を安置するお堂を建立しました。ごれが大覚寺の始まりといわれています。

嵯峨天皇が亡くなって30数年後の846年、嵯峨天皇の皇女である正子内親王が離宮を本格的な寺院に改めました。開山は恒貞親王(つねさだしんのう)が務めたと伝えられています。

1308年、後宇多法皇が大覚寺を再興しました。法皇が大覚寺で院政(法皇が行う政治)を行ったことから、寺院は嵯峨御所と呼ばれるようになります。南北朝時代には皇位継承が行われたり三種の神器が保管されたりと、寺院は御所の代わりも務めました。

室町時代末期、応仁の乱が起こるとその兵火によって伽藍がほとんど焼失してしまいます。

江戸時代から現代まで

戦国時代に兵火で焼失した伽藍は、江戸時代初期の寛永年間にようやく再建されました。その後、明治時代になると皇族が住職を務める習慣はなくなりますが、寺院は皇室にゆかりが深い寺院として政府からも庇護されます。

現在、大覚寺は国の史跡として、また1年中花が楽しめる寺院として有名です。1年を通して観光客が絶えることはありません。

王朝文化を伝える
大覚寺の魅力

代々皇族が住職を務める門跡寺院であった大覚寺は、雅やかな王朝文化の名残が現在まで伝わっています。この項では、そんな寺院の魅力をご紹介しましょう。

生け花を楽しめる

生け花(大覚寺)

生け花

大覚寺の元となった離宮を造営した嵯峨天皇は、華道嵯峨御流の開祖としても有名です。現在、大覚寺には華道総司所(かどうそうししょ)という部署があり、嵯峨御流の継承と普及に努めています。

大覚寺では、1年を通じていろいろな行事が行われていますが、嵯峨御流の関連行事として毎年4月に行われるのが華道祭です。華道祭では、嵯峨天皇の法要や献花・華道展・親子生け花体験など様々な行事が行われます。花が好きな方や華道に興味がある方は、このお祭りに合わせて訪れるのもおすすめです。

修行体験ができる

大覚寺では、写経や写仏(しゃぶつ)を行うことができます。写仏というのは、お手本の上から大覚寺の本尊である不動明王や文殊菩薩・普賢菩薩などの姿をなぞる修行です。お手本の上からなぞるだけですので、写経よりも短時間で行え、習字が苦手な方でも仏教に親しめます。

写経や写仏を行いたいという方は、事前に問い合わせをしておくと手続きがスムーズです。自宅で写経や写仏を行ってそれを奉納することもできます。

四国八十八ヶ所霊場の砂

大覚寺は真言宗の大本山であり、弘法大師が修行をするために建立したお堂が始まりです。そのため、寺院では弘法大師が開いた四国八十八ヶ所霊場の砂が集められており、その砂を踏むことで霊場巡りの代わりとするお砂踏みが行えます。年度によって踏める霊場の砂が違うので、興味がある方は事前に公式サイトで確認してから訪れるといいですね。

王朝文化を今に伝える

観月の夕べ(大覚寺)

観月の夕べ

大覚寺では、毎年9月になると観月の夕べという行事が開かれます。これは、境内の大沢池に舟を浮かべて管弦の音色と月を楽しむ雅やかな行事です。嵯峨天皇が大沢池に舟を浮かべて貴族たちと宴を楽しんだという故事にちなんだ行事で、毎年大勢の観光客が舟遊びを楽しみに訪れます。

乗船券は当日のみ販売で、事前予約は受け付けていません。確実に舟に乗りたいという方は、発売日の日に早めに大覚寺に到着しておくといいですね。発売日は公式サイトで確認できます。

池の畔にはお茶席が設けられているので、月と池に浮かぶ舟を見ながら抹茶とお菓子を楽しむのもおすすめです。

秋の草花が咲き誇る境内

嵯峨菊(大覚寺)

嵯峨菊

大覚寺の境内には1年を通じて様々な花が咲き誇ります。中でも名高いのが、秋に見頃を迎える嵯峨菊です。嵯峨菊は、嵯峨天皇が愛でたと伝わる嵯峨離宮(現・大覚寺)の敷地に生えていた野菊を改良して作られました。毎年11月1日から30日までは嵯峨菊の展示会が行われ、境内には約800鉢もの嵯峨菊が飾られます。

この頃はちょうど境内の紅葉も見頃を迎え、境内の夜間拝観も行われるので両方楽しむのもおすすめです。

歴史ある
大覚寺の見どころ

境内全体が国定史跡である大覚寺の境内は、見どころがたくさんあります。この項では、その中でも特に必見の場所をご紹介しましょう。

後水野尾天皇より下賜された宸殿

宸殿(大覚寺)

宸殿

宸殿(しんでん)は、大規模な法要などが行われる門跡寺院独特の建物です。大覚寺の宸殿は、江戸時代に後水野尾天皇より下賜された寝殿造りの御所風の建物になります。この建物は、皇室に嫁いだ徳川秀忠の娘、東福門院和子が女御御殿(にょごごてん)として使用していました。妻飾り・破風板・天井など各所に装飾が施されており、すべての廊下に踏むと音がする鴬張り(うぐいすばり)が施されています。

大正時代に下賜された御影堂

御影堂(大覚寺)

御影堂

御影堂(みえどう)は、1925年(大正14年)に建造されました。この建物は、大正天皇が即位された時に使われた饗宴殿(きょうえんでん)を移築したものです。

心経殿(しんきょうでん)を拝むための前殿で、心経殿を拝するために内陣正面が開けてあります。内陣に祀られているのは、嵯峨天皇・秘鍵大師(弘法大師)・後宇多法皇・恒寂入道親王(開山を務めた恒貞親王)など、大覚寺の歴史に大きくかかわった皇族の像です。

政務が行われた正寝殿

正寝殿(大覚寺)

正寝殿

正寝殿(しょうしんでん)は鎌倉時代に宇多法皇が院政を行った場所で、南北朝媾和会議(なんぼくこうわかいぎ)が行われたことでも有名です。12の部屋を持つ書院造の大きな建物で、それぞれの部屋には紅葉の間・竹の間などの名前がついています。

本来、正寝殿のような建物は寺院の伽藍に含まれません。このような建物の存在が、大覚寺が単なる寺院ではなく御所の代わりを務めていたことを示しています。内装も豪華で、王朝文化の華やかさを今に伝える建物です。

本堂(五大堂)

五大堂(大覚寺)

五大堂は現在の本堂で、江戸時代中期に建造された建物で大沢池のほとりに立っています。大覚寺の本尊である不動明王を中心とした五大明王を安置していることから、この名前がつきました。

大沢池に面した東面には、池に張りだした観月台と呼ばれる濡れ縁があります。このようなところにも、王朝文化の名残が感じられるでしょう。

諸堂を結ぶ村雨の廊下

村雨の廊下(大覚寺)

村雨の廊下

村雨(むらさめ)の廊下は、諸堂を結ぶ廊下です。廊下が直角に折れ曲がっているため、これを稲光に例えて村雨の廊下と名付けられました。

この廊下は、侵入者が入りこめないように踏むと音が鳴る鴬張りとなっています。天井も低く造られており、刀や槍をふりあげられないように低く作られているにも特徴です。

勅封心経殿

勅封心経殿(大覚寺)

勅封心経殿

勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)は、法隆寺の夢殿を模して1924年(大正14年)に再建されました。内部には嵯峨天皇をはじめ、歴代天皇や上皇の勅封心経(天皇などが直筆で行った写経)が納められています。内部に安置されているのは薬師如来像です。

江戸時代に再建された勅使門

勅使門(大覚寺)

勅使門

勅使門は、天皇の御使い(おつかい)がくぐる門です。大覚寺の勅使門は幕末に再建されました。全体的には素木造りですが、唐破風(からはふ)の部分にだけ漆を塗り金鍍金(きんときん)の飾り装飾が施されています。

残念ながら現在は閉ざされておりくぐることはできません。外からの見学になります。

安井堂天井雲龍図

安井堂天井雲龍図(やすいどうてんじょううんりゅうず)は、京都東山にあった安井門跡蓮華光院(れんげこういん)の御影堂天井に描かれている雲竜図です。この御影堂は、明治時代に大覚寺の境内に移築されてきました。

内陣(仏様が安置されている場所)の天井には花鳥が描かれ、その奥にある内々陣(堂内で最も尊い場所)には、壮麗な雲龍が描かれています。

離宮の時代からある大沢池

大沢池(大覚寺)

大沢池

大沢池(おおさわのいけ)は、大覚寺の東に位置する日本最古の人工池です。庭園に付随しているため、林泉(りんせん)ともいわれています。嵯峨天皇が離宮を造営する際に一緒に造られました。中国の洞庭湖(どうていこ)を模して造られたことから、庭湖という別名もあります。

昭和に建てられた心経宝塔

心経宝塔(大覚寺)

心経宝塔

心経宝塔(しんぎょうほうとう)は、1967(昭和42年)に嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。大沢池の畔に建つ朱色に塗られたこぢんまりとした宝塔です。内部には弘法大師の像と如意宝珠を納めた真珠の小塔が安置されています。

名古曽の滝跡

名古曽の滝跡(大覚寺)

名古曽の滝跡

名古曽の滝跡(なこそのたきあと)は、大覚寺が離宮だったころの遺物です。百済川成(くだらかわなり)が作庭したものと伝えられてきました。平成担って調査が行われたところ中世の遣水が発見されたため、復元されて現在に至っています。

天神島・菊ヶ島・庭湖石

天神島(大覚寺)

天神島

天神島・菊ヶ島・庭湖石は、大沢池の中に配置された小島と石です。二島一石の配置は華道嵯峨御流の基本型に通じるといわれています。庭の畔に建つ建物を含めて国の名勝に指定されており、小島と石が見える位置は絶好の写真撮影スポットです。

望雲亭

望雲亭(大覚寺)

望雲亭

大沢池の畔に建つ茶亭、望雲亭(ぼううんてい)は、明治時代に裏千家によって建立されました。1973年(昭和48年)に火災で焼失しており、現在の茶亭は1975年(昭和50年)に再建された二代目です。茶亭の中には有栖川(ありすがわ)宮家より下賜された家具が置かれています。

大覚寺
まとめ

いかがでしたか? 今回は大覚寺の見どころや魅力をご紹介しました。大覚寺は嵯峨野や嵐山に点在する有名な寺院からは、少し離れた場所にあります。そのため、見どころがたくさんある割には混み合う日も少なく、ゆったりと見学ができる寺院です。最近は、刀剣乱舞という刀がテーマのゲームに登場する宝剣を所蔵していることで有名になりました。そのため、刀剣関係のグッズが増え、御朱印帳も新しく作られています。京福電車の嵐山駅からレンタサイクルを借りて行くのもおすすめです。

大覚寺
アクセス情報

住所:京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
電話番号:075-871-0071
拝観時間:9~17時
拝観料:大人500円・子ども300円
駐車場:あり
交通案内:京福電車嵐電嵯峨駅から徒歩23分(京福電車嵐山駅からレンタサイクルが便利)
公式サイトttps://www.daikakuji.or.jp

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